Prefuse 73 / アメリカ式ドッチボール

今日は「エレニの旅」を見に行くつもりだったのですが、野暮用に時間を取られて挫折してしまい、GWの最後を気持ち良く飾るつもりが、不完全燃焼になってしまったのでした。エレニ・カラインドルー(Eleni Karaindrou)のアルバムも買って、スタンバイしておいたのにな。

エレニの旅

エレニの旅

今日のBGMはPrefuse 73の「Surrounded by silence」です。これはかなりツボにはまりました。Hip Hopは、一つの音楽のジャンルとかスタイルとしてあるものよりも、こうしたジャンルが曖昧な形で繰り広げられているものの方が、私にとってはずっと気持ち良いです。無数の音楽の交差する場所に位置しうるという意味で、もっともいま興味のある音楽なのですが、試しにいろいろ買って聴いてみると、当たりはずれが多すぎて、どうも弱っています。ただ、中に時折、The Roots(例えば「Things Fall Apart」)とか、Atmosphere(例えば「Seven's Travels」)とか、あたりがあるから聴き続けているのですけれど。たぶん、情報の集め方も甘いのだと思います。もっと、ちゃんとリサーチして聴いていけば、あたり度も増していくはず。

Surrounded By Silence [帯解説・ボーナストラック収録 / 国内盤] (BRC113)

Surrounded By Silence [帯解説・ボーナストラック収録 / 国内盤] (BRC113)

Things Fall Apart

Things Fall Apart

Seven's Travels

Seven's Travels

ところでベン・スティラーの「ドッチボール」で、日本のドッチボールとアメリカのドッチボールはこんなに違うのかーと思ってぼーっと見ていたのですが、今日になって、日本のと違いアメリカのドッチボールは、戦争になぞらえられてルールが出来ているのかもと思い当たったのでした。

日本式の場合、一つのボールでプレイをし、あくまで同人数のプレイヤーが、内野と外野を出たり入ったりしながら、最終的に内野が0になった方が負けとなる、人を的にボールをぶつけ合うとしても、闘う2チームのバランスはきちんと取れたスポーツなのですが、アメリカ式の場合、ボールをぶつけられたり、取られたりすると、場外退場となり、ゲームからいなくなる。玉が6個と多いことよりも、このことの方が特徴的で、だから極端にパワーバランスが崩れて、あっという間にゲームが終わってしまうことがあるのです。1対4とかになってしまったら、まず1の側の逆転は難しい。ボールをキャッチできれば、仲間が一人復帰(敵は一人退場)というルールがあるので、可能性は0ではないものの、外野と内野を併せれば、必ず同人数ずつでの闘いが出来る日本式とはだいぶ異なるわけです。その結果、1の敵に4人がいっせいにボールを投げつけてやっつけたりします。そう、日本で言えば(競技としてテレビのバラエティで放映されている)雪合戦に近い。そこでは擬似的な命の奪い合いがある。戦争のイメージに、アメリカ式のドッチボールは近いのです。

いや、別にそれだから良くない、とかは言いません。むしろ、そこに、遊びやスポーツの持つ本質の一面を見ると言うだけです。ただ、アメリカ式のドッチボールは、マイナースポーツでしょうし、おそらく日本以上にスポーツとして充分な注目を集めていないために、ルールやゲーム進行自体が練られておらず、そのせいで洗練されない、何かひどく生々しく、戦争的な側面が残っているのではないかと想像しています。