ゆらゆら帝国 / 未開の惑星

そんなわけで、映画を3本ほど見てきました。その話はいずれ書こうと思います。

松本次郎の「未開の惑星(ほし)」と「ウエンディ」を読みました。「ウエンディ」は彼の長編デビュー作だそうですが、もしこの作品から先に読んでいたら、「フリージア」を読もうとは思わなかったのではないかと思います。確かに画力はあります。「フリージア」に通じる混乱した欲望も盛りだくさんに込められてはいます。しかし、ダークなのは表面だけで、むしろこれは甘いロマンチシズムを語るための扮装なのではないかと思われるからです。

しかし「未開の惑星」を読むと、松本次郎という作家が、誠実に先へと歩もうとする作家であると思い直されます。「ウエンディ」と同様の、少年と少女のダークな成長の物語で、画家を目指す少年と幼なじみの二人の少女の物語という構図は、どこかロマンチシズムにおちていきそうなところも残されているのですが、「フリージア」にも見られる他者の問題、それから試行錯誤を含めた自問自答の誠実さ(多少テクニックに走りすぎてはいるかもしれませんが)は、非常に健康な感触を与えてくれます。ここではないどこかへ行かなければならない。その目的は正しい。しかし、それを正しい過程で、しかも成功させることはすごく難しい。当たり前のことなのだとは思うのですけれど、それを自問自答で問いながら進むしかない。松本次郎は、そのことを正面から描いています。「うまくいかなかったのは宇宙へ行くことが間違いだったからではなく、宇宙へ行くやり方が間違っていたからだ。これこそが本質で僕のやるべきことだろう。もし本質であるならば、すべての状況とリンクするはずなんだ」(「未開の惑星」下巻より)とか、確かに幼いかもしれないけれど、そういう理想はどこかに必要なのだとは思うし、またどこにも結果的に行けなかった人間たちも、松本次郎は確かに描いていて、それも含め誠実に描いているのです。

「フリージア」では、そうした誠実な問いかけが、病によって絶えず危うげに萎えていくのを描いていると思います。誠実さは、現実の中で行き場を失っていき、その過程で、正しいとは思えない方法や手段が、とりあえず選択され続けていきます。しかし、「フリージア」の敵討ち代行人の3人は、それぞれ自分なりの生き方を誠実に求めてはいると言えるのです。共感は出来ないですけれど(笑)。いや、できるかな?

未開の惑星(ほし) (上) (F×comics)

未開の惑星(ほし) (上) (F×comics)

ウエンディ (Ohta comics)

ウエンディ (Ohta comics)

ゆらゆら帝国の新譜「Sweet Spot」を聴いています。松本次郎には、マッチするように思います。ゆらゆら帝国は、あのビジュアルがまず好きなんです(笑)。坂本慎太郎さんには、是非、俳優デビューしていただきたい、と強く願います。出来れば、殺人犯とかがよいです。実はすごくいい人だったりすると、なお嬉しく思います。物語の中盤で、無意味に死んでくれたりすると、もう最高です。いえ、もちろんこれは、最高の賛辞のつもりです。実際、そうした役が似合う俳優が、いまどれほど日本にいることでしょう。

このアルバムも、ここではないどこかへと向かう誠実さと、他者と向き合う不器用だが正直な姿勢などを基軸にしたアルバムですね。歌詞だけの問題ではないと思います。ずれていこうとする意志や、変わろうという意志が、素朴に反復されているように感じるのです。外へ、あるいは他者に向かって。

Sweet Spot

Sweet Spot