DR. JOHN「GUMBO」/ 姑獲鳥の夏

BGM : DR. JOHN「GUMBO」

Dr. John's Gumbo

Dr. John's Gumbo

夏ですから。名盤ですね。クーラーはつけずに、扇風機だけで、暑い夜を乗り切るには最高です。お酒も必要ですね。冷蔵庫で冷やしていた安い安い赤ワインを3杯、少しだけ残っていた食後酒(セニュアーナ・ミルティッロ:苔桃のリキュールをブレンドした甘いグラッパベースのリキュール。レモンチェッロも好きですけれど、こっちの方が好きです)を2杯、適度に酔っています。

田中宇さんのHPで、ロンドンの同時多発テロについて、新しい記事が掲載されました。「怪しさが増すロンドンテロ事件」と題されたこの記事は、当局の発表する犯人像が二転三転する様子を追いかけながら、イギリス当局がテロ事件を政治的に活用しようとしているのではないか、と分析しています。アルカイダイスラム社会をネガティブに代表させつつ、テロ戦争を永続化しようと言う戦略がそこにあるのでは、と。これは、事件が起こったときに、私が最初に危惧していた方向性に近いものです。もしかしたら、田中氏の2つ前の記事、ブレア首相がアメリカ一極支配を危惧し、多極化を狙っているという話を、私はお人好しに、国際協調路線と結びつけすぎていたのかもしれません。実際は、多極化を狙い、その中で協調的な路線が出てくるとしても、覇権を握り続けるためには、やはりイスラム社会と西欧社会は対立していてくれた方がいい、ということかもしれないわけです。あまり、陰謀説的なことに偏ってものを考え始めると、面白い分それに引きずられるので、これくらいにしますけれど、やはり単純ではない、という当たり前のことをもう一度思うわけです。

まずは、おかしなことをおかしいと感じる感性が、大事なのは言うまでもなくて、たとえば、日本のテレビを通してロンドンのテロの報道を見ているだけでも、どうも情報が方向付けられている感触はわかるわけです。たぶん権力というのは、それほど器用だったりするわけではなく、むしろ、そういうボロを、そこかしこに出しているのだと思います。問題は、それでもほつれたりはしない、ということなのだと思います。何かことがあった直後は、目の前の出来事の深刻さに、おかしなことを受け流してしまったり、疑問を持たずに与えられた情報をとりあえず平気で受け取ってしまったりする。いや、もしかしたら、むしろ受け取りたい人たちが無数にいるのかもしれません。だとしたら、恐ろしいことです。

ちなみに、ロンドン同時多発テロ関係については、7/9にも書きました

閑話休題京極夏彦原作・実相寺昭雄監督の「姑獲鳥の夏」を見ました。

「世の中に不思議なことなどないのだよ、関口君」という台詞は、いわゆる超常現象など存在しない、ということではなくて、超常現象と俗に言われるモノであれ、それが実際に起こるのであれば、それは世界に確たるモノとして存在しており、たまたまそれが人の眼にさやかに見えるか見えないかに過ぎない、といった考え方に基づいています。映画の核となる登場人物、祓い屋もやっている京極堂堤真一)は、ですから、さしずめ医者のように妖魔や怪を祓う、という設定なのでしょう。と、こんなことを書いてしまうあたり、実は京極夏彦さんの原作を読んでいないことがばれてしまいそうです。原作を読んでいたら、当然わかっている前提な気がします。

映画は、そうした理屈っぽさを楽しめるかどうかで、受け取り方が別れそうな感じです。あと、実相寺昭雄監督らしい拘った、水平を無視したカメラワークとかも、好きな人はたまらないのだと思います。私は、理を支え呼応するモノとしての物語が、もう少し構成としてしっかりしていてくれたらいっそう乗れたと思うのですが、物語の進行役にあたる関口=永瀬正敏の幻視が、様々な視覚的な可能性を実相寺監督に感じさせたのか、どちらかというと視覚的なインパクトを重視した演出となっていて、物語の構成という意味では一つ弱い感じがするのでした(いや、物語の構成だけではなく、もっと、映画全般、たとえば時間軸や書くショットが示す位置関係といったものすべて含めた、映画全般の構造というべきものが、視覚的な部分を重視することで、二次的なモノとされている、という説明が適切かもしれません)。他方、映像的な部分が目を引くからこそ、京極文学の華麗なる映像化!ということで盛り上がる方もいらっしゃるのかもしれませんね。

たとえば京極夏彦原作・蜷川幸雄監督「嗤う伊右衛門」は、非常にのしっかりした構成の映画になっていました。四谷怪談を換骨奪胎し、「伊右衛門どの、恨めしや」といった有名な台詞はそのまま、起こる出来事もそのままにしながら、事件の順番を入れ替えたり、ニュアンスを替えたりすることで、実は最初から最後まで、伊右衛門とお岩は愛し合っていた、という物語に作り替え、そこに一切の矛盾をなくしたのは、京極夏彦の原作の妙もあったろうと思われるのですが(といいつつ、読んでいないのですけれど)、蜷川幸雄監督の構成力も大きいと思います。それを成立させるために、極悪な椎名桔平を登場させ、すべての悪を彼に押しやってしまいそうになる部分は微妙ですが、最後の最後、実はお岩の父親が…という部分で、その弱点にも見事に穴を穿つと思います*1

嗤う伊右衛門 [DVD]

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姑獲鳥の夏」を見終わってから、「虚無への供物」(中井英夫)を映像化できたら、面白いだろうなぁと考えました。監督は誰がよいでしょう?ぴたっと来る方が思い浮かばないのですが、理知的でドライな構成が嬉しいですね。そして鮮やかな映像美も兼ね備えて。万田邦敏監督とかに撮ってもらったら面白い気がします。

新装版 虚無への供物(上) (講談社文庫)

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そんなことを考えていたので、今日、中井さんの本を買ってしまいました。戦中に書かれた日記を一冊にまとめていて、「戦中日記 彼方より 完全版」と題されています。ちらちらと、読み始めたところです。例によって、読み切れるかどうかはわかりませんが。

*1:ところで。ほんのちょい役なのですが堀部圭亮はいいですね。すごく映える顔をしています。彼がもっと映画で活躍してくれると嬉しいのですけれど