沈夫人の料理人 / Brian Eno

BGM : Brian Eno「Another Day On Earth」

Another Day On Earth [解説付・ボーナストラック収録 / 国内盤] (BRC128)

Another Day On Earth [解説付・ボーナストラック収録 / 国内盤] (BRC128)

夏の昼下がりに、溶けるようにして聴いています。これだけ脱力と達成が絶妙なバランスをもって共存できるということ、そこにブライアン・イーノの現在の立ち位置があるということなのだと思います。こう書くと、円熟した部分ばかり強調しているように聞こえるかもしれませんが、意識を働かせて聴くと、簡単には聞き過ごせない音ではあって、ただちゃんと意識を傾けないと、怖いくらい、引っかかり無く流れていってしまう(もはや意識を引き寄せることを要求していない)、そういう音楽なのでした。全編良質なアルバムだと断言できるのに、どの曲が良かったとか、そういう曲単位の記憶へと結びついていこうとしないアルバムです。敢えて言えばT5の「Caught Between」かなぁ。うーん。ただこれはアルバム全体の評価とは別の基軸として、私がメロウなものを愛しやすいからだと思います。

今日、ぶらりと本屋にはいると、買わなければいけないコミックが3冊も発売されていました。古谷実シガテラ」6巻。最終巻です。もっともっと続けて欲しい作品ではありましたが、他方で、どこかで終わらせるならば、どこまでも中途半端なタイミングで終わらせるべし、だったのかもしれません。もっと連載が続いたとしても、どちらにしても終わりは唐突だったろうと思います(「シガテラ」についてはちょっとだけ5/15の日記でも触れています)。それから「ヨイコノミライ」の3巻。6/12の日記でいろいろ書いています。

シガテラ(6)<完> (ヤンマガKCスペシャル)

シガテラ(6)<完> (ヤンマガKCスペシャル)

ヨイコノミライ! (3) (Seed!comics)

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それから、「沈夫人の料理人」の3巻。これはセックスをまったく描いていないにもかかわらず、とてもエロティックなマンガです。

一昨日の日記で言葉ではない、別の手段での対話、という話を書きましたけれど、その意味ではセックスって豊かな可能性を持っていると思うのですね。肉体を使った、言語とはまったく別の仕組みの対話として。エロティシズムは、そうしたセックスへと誘うイメージの引力と言い換えることが出来ると思うのですけれど、エロティシズムの面白さは、セックスそれ自体だけではなく、セックスの様々な変奏のなかにも拡散し宿っていくということです。むしろ直接的にセックスをイメージさせるのではなく、間接的である方が、ずっとエロティックだったりもするわけで。

沈夫人の料理人」の場合、エロティシズムは、料理人が腕によりをかけて作る皿の数々に宿ります。そこには料理人と美食家の言葉ではない対話があり、そこにセックスの変奏も見いだせるのです。

もう少し詳しく書きますね。明の時代、中国の裕福な一家を舞台にしています。主人公は料理人として買われてきた李三と、彼の料理の腕をこよなく愛する沈夫人。美しいだけではなく、良家に育ち、卓越した舌を持つ美食家の沈夫人だからこそ、李三の力量の高さを正しく評価できるわけです。二人には料理人と美食家というポジションの違いがあるとはいえ、美食という達成すべき共通の快楽があります。一方は食することで、もう一方は正しく評価されることで快楽とします。そこで料理人は腕を磨く鍛錬を怠らず、美食家は正しく評価するための舌を磨く必要がある(おそらく舌は、幼いころからの訓練によってしか真には鍛えられない、従って沈夫人も希有な存在です)。そして毎回、美食という対話が、料理人と美食家の間で繰り広げられます。快楽のための共同作業、そこにエロティシズムが匂い立ち始めるのです。

美食を理解しない人々にとっては、彼らの対話の高度さも理解しがたいわけですから、二人だけの対話という性格も強くあります。そのように一つの価値観=美味を共有していながら、主従関係もある、そこに屈折した要素も加わっていきます。どこかSM的です。しかしこれは、主従関係は既にあるわけですから、二人の関係はそうでないと成立し得ないとのかもしれません。美味なるものを主人である沈夫人が無理難題として要求し、奴隷である李三がそれに期待はずれになることなく応えます。そしてより高みを互いにもとめつづける。それがエロティシズムを更に深めます。互いに意識していないところも含めて、二人は確信犯で、共犯であるのです。

料理がどれも美味しそうです。作る過程がきちんと描かれているからです。実際に食べるわけではないので、そういう情報が味覚を刺激するのです。珍しい料理が並びますが、といって、突飛な料理はあまり出てきません。トリビア的な情報が差別化のバブルを作っていくグルメコミックではなく、職人的な過程を、正しく評価するという単調な繰り返しを丁寧に描いた作品なのです。しかし、そういう高度な繰り返しに宿るエロティシズムの方が、ずっと強いのではないかと思います。

沈夫人の料理人 3 (ビッグコミックス)

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という話を書いていて、「愛の神、エロス」(公式HP)のウォン・カーウァイ編を思い出しました。美青年の仕立屋が、美しき囲われ女の奥様に、技術の限りを尽くしてチャイナドレスを作り続けるという話です。彼女の身体に完全にフィットする洋服を仕立て、それを着た女性がより美しく輝く…ドレスを作る仕立ての手が一種の愛撫のようなものとして、そのとき女性の身体を覆いもするのです。仕立て台の上にドレスを置き、その内側の布地を手でまさぐりながら仕立屋が自慰をするシーンもありました。

あるいは、フレッド・アステアジンジャー・ロジャースを抱いて踊るシーンの、崇高なまでに洗練されたエロティシズムを思い出してもいいのかもしれません。ダンスこそ、映画においてもっとも優雅なセックスの代替物で、周防正行はそれを充分自覚して「Shall We ダンス?」を作り、ハリウッド版のリメイクは、そうしたハリウッドの歴史に鈍感であるが故に、日本版「Shall We ダンス?」のラストをそのまま踏襲しない道を選んでしまった、と私は思っています。

Shall We ダンス? (初回限定版) [DVD]

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