EREWHON / ロボッツ

このブログの題「The Bad News Erewhon」は、「がんばれ!ベアーズ」の原題「THE BAD NEWS BEARS」と、NOWHEREの文字を入れ替えた架空の場所「EREWHON」をあわせたものです。「EREWHON」はサミュエル・バトラーという人が1872年に書いた有名なユートピア小説のタイトルらしいのですが、不見識な私は、このブログを始めた段階ではまったく知りませんでした。イメージしていたのはデヴィッド・トーマスの「EREWHON」というアルバムです。そんなわけで、本日のBGMにセレクトです。ああ、かっこいい。

エレホン Erewhon

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Erewhon

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などという話を敢えて書いてみたのは、リチャード・リンクレイター監督が「がんばれ!ベアーズ」のリメイクを作ったと聞いたからです。「スクール・オブ・ロック」が評価されたのでしょうね。ウォルター・マッソーの役をビリー・ボブ・ソーントンがやるらしいです。はまり役なのか、微妙なのか、ともあれ楽しみではあります。なお、こちらが公式HPです。

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とか、いろいろ書きながら、遂に100日目に突入です。まあ、途中いろいろなインチキがありましたが、ご愛敬ということでお許し下さい。

クリス・ウェッジ監督の「ロボッツ」を見ました。流行の、ハリウッド・スターを声優にキャスティングしたアニメーション大作です。主人公のロドニーにはユアン・マクレガー、ヒロインのキャピィーにハル・ベリー、ロドニーの親友フェンダーロビン・ウィリアムズ、ロドニーが憧れるロボット工場の社長ビッグウェルド博士にメル・ブルックスという配役です。クリス・ウェッジは「アイス・エイジ」の監督とのこと。私は見ていないのですが、予告編がジョン・フォードの「三悪人」のようだったことだけ覚えています。

三悪人 [DVD]

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新機軸だ、と思うのは、この映画が《ロボットだけの世界》を描いているところです。人間は勿論、ロボット以外、意思を持った存在はこの世界に存在していません。どこかに最初に作った人がいないとおかしな話になりますが、ともあれこの映画のロボットたちは、道具として作られるのではなく、自立した個々の存在として作られます。ですから、彼らは人間とまったく変わらない存在です。人間が人間の腹から生まれるかわりに、ロボットはどこからか送られてきた赤ん坊ロボットの部品を組み立てるところから子育てを始め、そして、毎年、少しずつ成長したパーツに付け替えていく、その違いだけです。

その意味では、ロボットものを見ているというよりは、ロボットに模した人間ドラマを見ているといえましょう。もちろんロボットという設定を生かした魅力もたくさんあります。まず、一つ一つの造詣が凝っていて、個性的で可愛い。色使いも含めて、どこかノスタルジックな印象も与えます。それから、人間だったら死んでしまうようなことがロボットなら出来ます。首がはずせたりとかですね。改造もらくらくです。全般に、空間を猛スピードで行き来する、ジェットコースター的な動きの滑らかさが楽しいです。特に田舎から出てきたばかりのロドニーが、特急列車という名の、球状の籠のようなものに入れられて、町の中をぶんぶんと投げ飛ばされながら目的地に送られていくシーンは、アニメならではの面白さなのですが、中に入っているのがロボットでく生身の人間なら、ミンチ肉になってしまいそうです。あ、あと、ドミノの海の中を、ロボットたちがサーフするシーンも夏っぽくて好きです。

とはいえ、物語はやはり、人間をロボットに置き換えたものといえると思います。また、色使いだけではなく、物語としても、古き良きテイストを目指したのではないでしょうか。「アイス・エイジ」が、本編まで「三悪人」だったかどうかはわかりませんが、「ロボッツ」は少なくとも、やはりハリウッドのクラシックスフランク・キャプラの作品(たとえば「スミス都に行く」あたり)を念頭に作られたのではないかと思うのです。

以下、ネタばれです。

ロボッツ」は、田舎の皿洗いの息子が発明家の夢を追って大都会へと旅立ち、知恵と勇気で戦って、貧しい仲間たちと力をあわせてロボット会社の悪の重役をやっつけ、良心的な経営をしていた社長を復帰させ、自らも成功をつかむ、という話です。まさしく古き良きアメリカン・ドリームですね。ロドニーの父母像(ロボットなのに、両親に育てられ、赤ん坊から徐々に成長するという不思議な設定なのですが)も1940〜50年代のアメリカを彷彿とさせるキャラクター設定で、全般的な色のセンスと通じ合う部分だと思います。

しかし…ここで、「なんでロボットなのだろう?」とは思うわけです。いや、思うまでもないですね。もうこうしたアメリカン・ドリームは単なるフィクションではなく、おとぎ話的な子供向けのものになっているということなのでしょう。都会に出てきて社会的に成功する、という物語だけなら、今でもありうると思います。しかし、純朴で純粋な青年が、その誠実な夢を多くの人々と共有することで、連帯を作り、社会を変えていくことが出来る、というアメリカン・ドリームは、もう別の世界のおとぎ話だと。だから、この映画はアメリカン・ドリームのドリームとしてあります。幼い理想、というとネガティブに響くかもしれませんが、良くも悪くも古き良き(つまり今ではない)アメリカン・ドリームなのです。

大量生産・大量消費社会から、リサイクル社会へ、という問題提起が映画の中でなされているのですが、これは現在にも通じるかもしれません。大量生産・大量消費の流れが、型遅れになったロボットを廃棄するビジネスとが利権的に結びつき、意図的にリサイクル社会を阻害する、というのなどは、いかにも現代的な話ですらあります。けれど、では完全なリサイクル社会が可能か、というと、進歩がある以上変化はあり、変化がある以上廃れていくものもあるわけです。そのあたりが、どうもぼやけた印象の映画ではありました。

人間の社会ならば「死」という問題がついて回ります。しかし、「ロボッツ」の社会は、生、つまり赤ん坊のロボットがどうして送られてくるかわからないのと同様に、死もぼやけた感じになっています。そうした生の始まりと終わりの括弧の存在が、「ロボッツ」の世界を純粋に宙吊りにし、アメリカン・ドリームのドリームにするのだと思います。もしかするとそこには、逆説的にアメリカン・ドリームの自己否定の一形態を見いだせるかもしれませんね。

…それは、ちょっと問題だろう、と思うので、私はせっせと悪いニュースを流し続けたいと思うわけですが、それは別の話でした。

あ、「クレイドル・ウィル・ロック」という映画がふと思い出されました。泣きます、これは。

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