アントニオ・カルロス・ジョビン / 星になった少年

BGM:アントニオ・カルロス・ジョビン「Wave」

Wave

Wave

文字化けするので、カタカナで。夏ですから。ああ、でも夏は夏でも、早朝とかに聴く方が、気持ちよい気がします。冷房は消して、扇風機で、窓を開けて、明け方のほんの少し前の、薄闇からアルバムをスタートさせて、蝉が鳴き始める直前の、ある隙間のような時間帯に、流れていて欲しいと思うのです。そのためには早起きする必要がありますね。早起きは苦手なので、徹夜する方がよいかもしれません。翌日が大変ですが。天気予報によると明日は曇りのようです。明け方蝉が鳴き出すまでの隙間のような時間は余り期待できないですね。

世に言う名盤ですから、本当に名曲揃いです。T1「WAVE」にはじまり、ラストの「Captain Bacardi」まで、一曲のはずしもありません。あ、明け方がいいと思ったのは、このアルバム構成のせいかもしれません。ラストの「Captain Bacardi」が一番、涼しげではないというか、いやそれでも涼しげなのですが、うーん(笑)。T8「Lamento」が唯一のボーカル曲。もしインスト曲だけだとしたら、あまりに滑らかにアルバムのすべてが終わってしまっていたかもしれません。アクセントとして、アントニオ・カルロス・ジョビンの揺らぎに満ちたボーカルが、心地よく響きます。

そうそう、今日はiPodで、Bill Evans & Jim Hallの「Undercurrent」(8/7日記)を聴いていたのですけれど、夕刻、といっても夏ですから7時近くでしたが、ヘッドホンで聴きながら歩いていると、曲の合間、フェイドアウトしていく音にかわって、ヒグラシが聴こえて、また曲がはじまって、といった、とても幸福な瞬間があったのでした。夏の隙間です。

昨日の日記で「亡国のイージス」のことを書いたのですが、コメントとか、トラックバックがついたり、その結果アクセスが増えたりしまして、ブログを書き続けて102回目にして初めて読んでくれている人がいることを実感しました。もちろん、読まれることを想定して書いてはいますし、そのために私が可能な範囲での努力もしているつもりなのですが、具体的な反応をいただけると、単純に嬉しい。いや、こういうことを書くのはナイーブだとわかっているのですが。

河毛俊作監督「星になった少年」を見て来ました。この映画は、「受け継がれていく」ということを様々な形でモチーフとして提示しているといえます。

以下、致命的にネタばれです。なぜか「トーク・トゥ・ハー」と「オール・アバウト・マイ・マザー」のネタばれも含みます。

たとえば、母親・佐緒里(常盤貴子)の象に対する思いを受け継いで、息子・哲夢(柳楽優弥)は象使いを目指していた、と映画の最後に語られます。哲夢が事故であまりに早い死を迎えたあと、その思いを佐緒里に伝えるのは、哲夢の恋人だった絵美(蒼井優)です。絵美は以前、哲夢から受け継いだ、彼の夢を描いた「象ランド」の絵を佐緒里に更に受け継いでいきます。

たとえば、コーと呼ばれる象使いの道具です。タイの象学校でともに学び、友情を結んだ少年ポーは、手作りで作ったコーを哲夢に渡し、そのコーは、哲夢の死を悲しむ象ランディが、棺の上から取り上げて、哲夢の弟へと渡す、そうして象使いの思いは受け継がれていくことを予感させるのです。また、このコーの受け渡しには、象使いの技術を受け継いでいくという側面もあるでしょう。

ほかにも、様々なものが受け継がれていきます。「哲夢」という名前も、映画のラスト、ポーの訓練する小象の名前として受け継がれていきます。映画の中盤で、たとえ短い生涯になって象に生まれ変わるのでも、象使いになりたいと哲夢が白い象に誓ったシーンと、このラストは呼応しています(その白象は、象学校の仲間たちのいたずらだったのですが)。

こうした「受け継がれていく」ことをめぐる様々なモチーフを最も象徴するのが、祖母・朝子(倍賞美津子)が孫・哲夢(柳楽優弥)に新しい野球帽を渡すシーンだと思います。夜、哲夢がトタン屋根の上で家族同様のチンパンジーとともに並んで座っていると、家の外に祖母が現れ、ぼろぼろになった帽子の替わりに新しい帽子をあげると、屋根の上の哲夢に向けて帽子を投げるのです。ここは、投げるカットがあり、続けてCGを使った帽子が空を一回転しながら飛んでいく不思議なカットがあり、それをチンパンジーが受け止めて帽子を哲夢にかぶせるというカットに繋がる、という風に、3つのカットの連続で描き出されます(なお、この帽子は哲夢からさらにポーに受け継がれもします。また、象が鼻で帽子をかぶせるというショットも繰り返されます。象が人に帽子をかぶせてあげるというコミュニケーションには、象と人間との関係成立を象徴するところがあるようです)。

この2番目のCGのカット、そこにあるマジカルな経路が、この映画の本質ではないかと私は思っています。ありえないような軌跡で描いて飛んでいく帽子、そこに象徴されるマジックこそが、突然の死も越えて人の思いのすべてが伝えられ、受け継がれていくこの映画の、調和に満ちた連続を可能にすると思えるからです。マジカルな経路をたどり、すべてが繋がっていく奇蹟に、多くの人々が一種の感動を覚えるからこそ、この映画はヒットしているのでしょう。

「オール・アバウト・マイ・マザー」と「トーク・トゥ・ハー」、ペドロ・アルモドバルの2つの映画が頭をよぎりました。この2つの映画は、やはりマジカルな経路を経て嘘のような連結が起こる映画です。「オール・アバウト・マイ・マザー」では息子を亡くした母親の元に赤ん坊が最後に手渡され、「トーク・トゥ・ハー」では、一方的な愛から昏睡状態の女性を犯し妊娠させた犯罪者を仲介して、ありえなかった筈の恋愛関係が最後に現れるのでした。ただ、アルモドバルの世界と「星になった少年」には、大きな、真逆とすら言える差異があります。アルモドバルの場合、世界の混乱と痛みと喪失のなかで、得られないかもしれないものをなおも求め続ける欲望の果てに、唐突に起こるマジックなのです。そこでは、すべてが滑らかな連続となって見えることは決してありません。むしろ、おおくの人間のが、死や破滅や痛みを抱えて世界に存在し続けるのです。しかし、そんな中でも、ある時、何かと何かが接続され、新しい可能性が芽生えもするのです。

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トーク・トゥ・ハー スタンダード・エディション [DVD]

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滑らかに受け継がれていく調和に満ちた世界の奇蹟と、この滑らかでない世界をなお進んだ果てにある唐突な奇蹟。そのどちらを好むかは、欲望の強さの問題なのかもしれません。

続けて「衆議院解散」についても書きました。)