成瀬巳喜男(1)/ Gavin Bryars

BGM : Gavin Bryars「The Sinking Of The Titanic」

映画「タイタニック」の不満な点として、船が沈むその最後の瞬間までバンドが賛美歌を演奏し続けていたという有名なエピソードを、非常に安易に点出し、その音楽の反復と継続を半ば無視しているように思われるところが挙げられます。対して、このギャビン・ブライヤーズの、タイタニック号が沈むまで繰り返し演奏されていたという賛美歌を幾度も繰り返しながら、船の沈没音や、生き残りの人々の証言などをコラージュしたアルバム「タイタニック号の沈没」は、少しセンシティブというか、危うい美的な世界であるとは思うのですけれど、しかし船の沈没という事象をどう捉えるか、というときに、やはりここには時間の問題が織り込まれているのです。このまま沈んでいきたいという誘いのようではあるのですが…。

なお、エイフェックス・ツインのリミックスCDシングルも何故かついていました。初回限定ですけれどね。

タイタニック号の沈没

タイタニック号の沈没

現在、東京国立近代美術館フィルムセンターでは、成瀬巳喜男監督の特集上映を開催しています。可能な限り通いたいと思っているのですが、体調を崩すなどなかなか思うにまかせず、悲しい思いをしているのですけれど、それでも今日までのところで「雪崩」「噂の娘」「まごころ」「秀子の車掌さん」「上海の月」「舞姫」を見ることが出来ました。

成瀬の映画を見ると、「浮雲」のような決定的に恐怖の大王でなくとも、たいていの作品で凍るような恐怖感を覚えるのですが、子供二人を主人公にした如何にも心温まる映画と思しきタイトルの「まごころ」を見て、これほど恐ろしさに震えるとは思いもしなかったのでした。

親友同士の少女を主人公としています。片方の、裕福な家庭の少女は、少しおてんばで、親の話を盗み聞きして、彼女の父親(郄田稔)が親友・富子の母親(入江たか子)と昔恋仲だったことを聞いてしまいます。それを教えられた富子は、初めて母親に自分の知らない側面があると知り驚きで泣いてしまいます。母親は、富子に父親のことを問いただされ、富子の父親はとてもいい父親だった、富子の親友の父親とは関係がない、と告げます。しかし、その美しい嘘は富子の祖母によって打ち砕かれます。富子に、彼女の父親は酔っ払いのろくでなしで、祖母は何度も母親を父親から引き離そうとしたこと、そもそも母親の結婚はある男性(おそらくは郄田稔)に義理立てしてのものだったことなどを暴露してしまいます。身も蓋も無い現実です。そんな苦労をした母親なのだから、親孝行しなければならないと祖母は富子に言いたかったようなのですが、富子としては、母親に自分の知らない側面があること自体が涙するほどのショックだったわけですから、自己の存在を否定されるように響いたのではないかと想像します。自分が、愛し合う父母によって生まれたわけではないと知らされたわけですし。

母親は落ち込む富子を、水でも浴びておいでと川に送り出します。川辺に遊びに行った富子は川に体を浸し続けます。そこに象徴的な意味合いがあるとわかるのは、件の親友が合流して交わす会話からわかります。富子の母と親友の父が昔恋仲であったと確認した二人は、笑いさざめきながら、もし二人が結婚していたら、私でもあなたでも無い子供が生まれていたのね、というのでした。このショットは成瀬にしては珍しい少女二人の横顔のクローズアップで、微笑み合う顔と顔の間にはきらめく川が流れています。生まれなかった可能性が、その川に流れて去ってはいなかったかと思うのです。だとしたら、川に身を浸す行為は、一種、死に近づくことかもしれません。

以下、「まごころ」「秀子の車掌さん」「上海の月」ネタばれです。

親友は父親と川に来ています。川向こうでは、親友の父親が釣りをしています。きらめく川越しのショットなので、ソフトフォーカスがかかり、輪郭をぼやかしたカットです。この父親は、まもなく戦地に招集されることになっているのです。そこに死の予感を見出すことも可能でしょう。映画のラストは、出征する父親の姿なのでした。

川で富子の親友が足を切ってしまい、その治療で駆けつけた富子の母が、親友の父親とおそらく十数年ぶりになるのだろう再会も印象的です。はっと富子に母親が振り返ると、富子がじっと母親を見つめていたことに気づく。そこでは、男女の恋の可能性を否定する愛すべき存在としてのそれぞれの子どもが、その純粋な視線で自己主張をしているのです。おぶわれて家に帰っていく親友が、その父親の顔を無理矢理振り向かせて、挨拶させるショットがあります。富子は、母親にその役割をすっかりまねてほしくて、親友が去ったあと自分もねだっておぶって貰い、誰もいない場所に振り向かせようとするのでした。ほほえましい子どもの身振りとは別に、振り返ったその誰もいない場所には、この母子が抱えている欠落が象徴されてもいるでしょう。あるいは、その川に流されていった、富子の母と親友の父の可能性が、そこにはうずくまっていたかもしれません。

富子は親友の父に、失われた自分の父を見出します。母親に隠れて盗み見た父親の遺影に、親友の父親の顔が重なって行くショットがあるのですが、これは祖母によって破壊された父なる存在を、彼女自身が理想の父親を親友の父親に見出すことで補っているといえ、更に言えば、富子はより高度な自己否定をしているとも見ることが出来ます。彼女は、彼女自身の替わりに、彼女の父親を否定して見せたのです。

「まごころ」でもっとも不気味なのは、男女が再会してしまった翌日、唐突に現れる赤ん坊の人形です。巨大な、人間の赤ん坊と変わらないサイズの人形を、富子にプレゼントする親友の父親は、意識上は娘の足の怪我を手当てしてくれたことに対するお礼としてプレゼントしたのですけれど、おそらく無意識上は、流されてしまった可能性としての子供を提示して見せたと思うのです。こうして、不意にどこの家庭にも属さない子供が生まれてしまいます。川辺で生まれ、最初から生を与えられていない子供です。

男の妻に配慮して、富子の母親は人形を受け取ることを悩む、富子はそんな母親を察して、人形を親友の家に帰しに行く、そこに母を思う真心がある、というのがこの映画の物語的なテーマでした。しかし、実際には、その存在感たっぷりの巨大な赤ん坊は、人形の擬似的母親である富子とその親友によって、互いの家を行き来させられながら、どこにも帰属できない違和感を撒き散らかしてはいなかったでしょうか。言い換えれば、子捨ての物語と見えなくも無いのです。自分を否定しかねない赤ん坊を押し付けあう。そのとき可能性としての赤ん坊は、どこまでも不気味に浮かび上がってきていたのではないかと思います。

映画のラストは前述の通り出征の場面なのですが、富子と親友の少女が人形を挟んで見送りに立ち、その両脇に更に富子の母と親友の母が立つ、という構図も、不気味さを湛えていたように思います。そこでは死の亡霊のようにかなえられなかった可能性が中央にすえられているのです。このようなところに、男は無事に帰還できるのでしょうか。私は、高い確率で死んでいくと思うのです。富子の母親と、親友の父親が引き離され再びめぐり合わなければ、赤ん坊の人形は不気味な可能性などは放たず、ただ死んだままの人形となりえます。おそらく戦争で死んでいる富子の父親同様、親友の父親も死ぬのでしょう。すると、人形を中心に二組の家族は、父親の不在によって相似形をなし、平和に閉じていくことが出来るからです。もし帰還してしまったら、人形は再び不気味な生を得て、消し去れない可能性として子捨ての運動の中に再びおかれてしまうのではないかと思うのです。いや、そのときに捨てられるのは、人形ではなく、富子の親友とその母親だったのかもしれませんが。

氏を象徴する川、というと、「秀子の車掌さん」のような明るい小品でもその主題は見出すことが出来ます。ラストシーンで、バスは橋を渡って川を越えていくのです。

「秀子の車掌さん」は、今で言うとエミール・クストリッツァの映画でも思い出すような感じで始まります。ぼろぼろのバスに乗り込んだ子供や農夫の持ち込んだ鶏の大騒ぎ、また私用でバスを止めた高峰秀子が、実家に向かって田んぼのあぜ道を走って行き、ぼろぼろのスニーカーの替わりに下駄を引っ掛けて戻ってくるシーンなどは、とても美しく、ぼろバスを中心に有機的につながる乗客や路線周囲の世界との諸関係が、豊かに広がっているのでした。赤字が続くバスをどうにかするために、観光ガイド的なアナウンスを車掌がしてはどうかと思いついた高峰秀子は、(この映画の原作小説の作者である井伏鱒二自身をモデルにしたような)作家に原稿を作ってもらうのですけれど、これもバスを、単なる移動の道具ではなく、閉じずに周囲に開いていく可能性を付与するものだったのではないかと思います。

しかし、会社は左前で、バスが事故を起こすと、保険金搾取のために破壊を命じたりもするわけです。作家が間を取り持って、バスをリニューアルすることで話は付くのですが、しかしそれは一時のことで、バスが川を渡る頃には、バスは遠くの町の会社に売られ、会社はたたむことが決まっているのでした。唐突に訪れる豊かさの終焉。川はここでも、何か豊かな可能性が流されていく場所に流れているのでした。

 ※

「秀子の車掌さん」は戦時下の作品とは思えない(ラストの突き放したような終わり方を除いては)おおらかな映画なのですけれど、「上海の月」は、同じ1941年の作品でも、はっきりと国策映画とわかる作品です。抗日運動の激しい上海で、日中繁栄を目指して中国語のラジオ放送を行う大日方伝と、日本語が達者で、その仕事に協力を申し入れる元抗日運動家の山田五十鈴が主軸となった物語なのですけれど、抗日運動家のスパイが放送局に入り込んでいて、山田五十鈴はそのために命を落としてしまうのでした。残念ながら、114分のオリジナルはほぼ半分が失われていて、全体に唐突な展開をする、内容のつかめない映画になってしまっているのですが、上海を舞台に、車で、銃で、ファムファタル山田五十鈴、という映画なのです。成瀬がサスペンス映画作家としてキャリアを積んだ場合の可能性を夢想させるのに十分なのでした。

あと、余談ですが、映画の最後には国策映画らしく、日中反映を妨害するのは暴力的なテロであり、テロこそ万国共通の敵だ、とテロップが出るのでした。侵略した側がよく言うなぁと素朴に思う一方で、このロジックが60年前も今日同様繰り返されていた事実に、ちょっと驚きもするのです。こうした傲慢なロジックが、戦後60年たっても受け継がれている事実にこそ、私は自虐史観的な悲しみを覚えるのでした。