七月のランデブー / TAYLOR DEUPREE

大入りで入れないのではないかと思っていたのですが、時間ぎりぎりでたどり着いた割には、すんなりと入れたし、空席もあって意外でした。ジャック・ベッケルの、上映機会があまり無かった、傑作青春映画ですから。

冒頭、登場人物たちが互いに電話を掛け合い、青年たちの立場やそれぞれの家庭の事情が、鮮やかに足早に語られます。その、離ればなれの場所を電話という道具でつなぎながら、まったく無駄のないスピードで、それぞれの登場人物を鮮やかに生き生きとさせていくベッケルの演出は、まずそれだけでも素晴らしいのですけれど、そのあと、登場する水陸両用車こそ、ベッケルの恐ろしさです。バラバラの場所にいた若者たちが、一台の水陸両用車に乗り込み、鮮やかに一つになる。その共有も青春の美しさながら、しかしセーヌ川を乗り越えて、最短のスピードで目的地にたどり着く運動の中で、彼らは路上/水上の変化、2つの運動を経験してもいて、そこにある急激な変化の予感と、その変化の唐突さと、それでいて滑らかでもあるという映画の魔力が、同時に示されるのです。それは映画を見終わって、事後的にわかることと言える部分もあります。しかし、実際は、映画の冒頭、電話を取り交わす若者たちが、理由もなく浮かべる憂鬱な無表情のなかに、ある種の、どうにもならないしこりや、何か唐突な変化の目が確かに孕まれているのです。そして、それは恋愛においては、一つの裏切りとして現れる。また、友情においては、夢を共に追いかけるやクソを苦保護にしようとする、生活に追われ始めた青年たちの、夢を語る主人公を前にしての凍り付いたような無表情に現れます。

奇跡の水陸両用車は、ベッケルのその恐ろしい世界にふさわしい乗り物です。ベッケルは、「穴」で象徴されるように、滑らかで強引な横穴掘りなのです。

ベッケルの鏡は魅惑的です。そして残酷です。映画の冒頭、鏡の中に自分の未来の夢の姿を見出した少女は、嘘のように夢をすべて叶えるのです。それに対して、誤魔化すために鏡に背を向けた少女は、はだけた背中のファスナーを鏡に映し出し、その夢=鏡に背を向けた罪において、永遠に恋を失うのです。鏡が夢であるとは、ベッケルにおいて「幸福の設計」を見ると、明らかだと思います。鏡に口紅で、あたりの宝くじで買う物は何かという夢を描くシーンの美しさを思い出します。そして、実際それは、当選なのです。対して、鏡に背を向ける不幸は、「モンパルナスの灯」に描かれています。映画の冒頭、ジェラール/フィリップは鏡に背を向け続けることは、偶然ではありません。だとしたら、「穴」の登場人物たちは、鏡の使い方を間違えてしまったが故に、あの末路を辿るのです。「現金に手を出すな」のジャン・ギャバンは、彼自身ではなく、彼には遠く及ばない親友を自らの鏡としたときに、踏み外すのです。

モンパルナスの灯 [DVD]

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穴〈デジタルニューマスター版〉 [DVD]

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あと、ベッケルといえば、ダンスシーンですね。シモーヌ・シニョレが、くるくると回りながら流し目を送るすさまじい「肉体の冠」の冒頭近くのシーンが、何よりも印象に残っていますが、「七月のランデブー」でも、混み合った地下のダンスフロアで、ジャズにあわせて激しく踊るシーンの躍動は、素晴らしく美しくて。そのシーンだけでも、見る価値がありますし、幸せな気分になります。

肉体の冠 [DVD]

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本日のBGMは、TAYLOR DEUPREE(テイラー・デュプリー)の「OCCUR」というアルバム。微電子音プツプツピピピ系です。音楽をきちんと語る様式がまだぜんぜん飲み込めないので、擬音語とかに頼ってしまいます(笑)。しかし、とても良い感じです。無機的な電子音がミニマルな反復の中で、一種の有機的な場を作り出す、とだけいうと、いろいろな人に当てはまる気がしますが、やはりたとえになるのですが、表面上はつるっと見えるものが、手で触ると柔らかさとざらつきを脳に伝え、豊かな肌触りを感じさせたりする、それが「聴覚」において起こるという感じです。じっくりと耳を傾けていると、柔らかさやざらつきが、無機質な音の繰り返しの中から生まれてくる。と、ここまで繋げて話しても、なお該当するアーティストは多そうですね(笑)。あとはその微細な肌触り?耳触り?の、わずかな差の話にしかならないのかもしれません。耳触りの可能性を模索するために、装飾的な音に対して批判的な距離を置き、耳障りな音を回避するセンスの良さ。しかしそれは、目にさやかな個性ではないと感じます。…前半よりもT4以降の流れが好きだなぁ。いや、正反対の言い方になりますが、ある意味では充分にリズミカルでもあり、メロディアスでもあって、単純に気持ち良いのです。

ICCのHPによると、「サウンディング・スペース─9つの音響空間」というデイヴィッド・カニングハムらも参加した企画展で、Richard CHARTIER(リチャード・シャルティエ)とともに作品を出展していたらしいです。開催時にはまったく気づきませんでした。行ってみたかったですね。で、そこにあった略歴を引用すると、「1971年生まれ。ニューヨーク在住。音楽レーベル「12K / Line」主宰。極めて小さな音によるデジタル・サウンド,「ロウワーケース・サウンド」と呼ばれる傾向をシャルティエとともに代表するアーティスト。」とのことです。