キッズの未来派わんぱく宣言 / 四十日と四十夜のメルヘン

Hair Stylistics中原昌也さんのCD付書籍「キッズの未来派わんぱく宣言」を購入しました。そして雨に濡れないように走って帰ってきました。

キッズの未来派わんぱく宣言

キッズの未来派わんぱく宣言

私は、中原さんの音楽に込められたユーモアがとても好きです。どこまでもノイズなのに、気づくとポップであるのは、ポップさを目指すからではなくて、むしろ構造を目指しているからなのではないかと感じます。美的にとろけてしまわずに音楽を続けていくために、何か構築しては横穴をあけていく、その運動神経が重要であることは言うまでもないのかもしれません。ただ、それぞれやり方に個性はあって、中原昌也の場合、どこかへと逃げていく手段はスピードではなく、もっと突発的なジャンプで、しかも鮮やかなマジックというよりも、忍者が印を切ってどろんと消えるような、どこかもったいぶった、しかし意外なやり方なのです。意外といっても、連続性がそこにないという意味ではありません。忍者がどろんとしてもおかしくない構造を作った上での逃走だと思います。つまり志の高さが、チープさを敢えて引き入れているという感じです。ところで逃亡も、構造の内部にすぐになってしまう以上、逃げ続けるしかないわけですが、そういうと、鈴木清順の映画のように、ふすまを開くたびに色の違う部屋に飛び込む、あれは「刺青一代」だったかな?を思い出します。そして、連想ゲームとしてはとても月並みなのですけれど、「気狂いピエロ」とエドガー・アラン・ポーの「赤死病の仮面」を思い出すのでした。

気狂いピエロ [DVD]

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読書は、限りなく苦手なのですが、最近、ようやく1冊本を読み終えました。本を買うペースに対しての、読むペースの遅さに、我ながらうんざりします。読み終えたのは青木淳吾の「四十日と四十夜のメルヘン」という本です。表題作は、およそ無価値そうな無数の投げ込みチラシの束から、広がっていくイメージが、何か豊かさや人間と人間を繋げるような可能性を生み出す可能性はあるのかという試みとして、私は読みました。それは、無数のとりとめない日々の反復に、無数の記憶やフィクションを重ね合わせ、チラシの束が崩れ落ちて出来た断層が奇妙な色合いの絵画として現れるような瞬間を導き出そうとします。また「クレーターのほとりで」という作品は、ネアンデルタール人ホモサピエンスが夫婦になり、子をなす(しかしその子どもはどうやら、一角獣が孕ませた子どもらしい)という物語と、ガス会社の掘った縦穴から見出された彼らの生活の痕跡を巡る物語で、深く掘られた縦穴の断層のそれぞれが、やはり特殊な色合いを帯びながら、様々な現実の記号と不意にくっつき、突然たまの「今日、人類が初めて、木星に着いたよ」という歌詞を引き寄せたりする作品です。そのようなわけで、この1冊の本では、月並みながら「断層」というところを基軸に青木淳吾を読んだわけです。一つ一つの要素や出来事の面白さではなく、複数の出来事が積み重なり、それが切断したりなし崩しに崩れたりするときに、単体では生かされない諸要素が、連結され意外な色合いでそこに現れてくる面白さなわけです。

四十日と四十夜のメルヘン

四十日と四十夜のメルヘン