東京大学のアルバート・アイラー / ヌーヴェル・ヴァーグ

菊地成孔大谷能生の「東京大学アルバート・アイラーー東大ジャズ講義録・歴史編」を読了しました(6/13日記)。

東京大学のアルバート・アイラー―東大ジャズ講義録・歴史編

東京大学のアルバート・アイラー―東大ジャズ講義録・歴史編

私はジャズをほとんど聴いてきていませんし、知識がほとんど無いのですが、それでも大変楽しく知的な興奮を伴って読めました。軽妙な語り口の妙というのもありますが、どこかで、自分の本分である映画の話と、通じ合っている部分が一番響いたのかもしれません。モーダル/コーダルという切り口、とくに「/」=切断面の部分をヌーヴェル・ヴァーグで置き換えて考えれば、それはしっくりとするわけです。

東京大学の〜」なかでも指摘されていたように、映画にとっても分節点となる年度が1959年であることも符号の一致するところです。ジャズが映画の中にどのように取り込まれていくか、ロジェ・ヴァデムやルイ・マルのことを思い出しても、その相似性は偶然ではないのだろうと想像します。そういえば、先日見た「七月のラプソディー」(ジャック・ベッケル)の1シーンは、完全なビバップでした。踊り狂っていました。ジャック・ベッケルはかなりのジャズファンだった、と、そういえば以前聞いたことがあります。

話が横にそれましたが、とはいえ実は、1959年という年度は、分節点としてフィクショナルではあります。確かに「勝手にしやがれ「大人は判ってくれない」の年度ではあるのですけれど、では1956年ではどうか?「王手飛車取り」(ジャック・リヴェット)があります。1957年には「美しきセルジュ」(クロード・シャブロル)があります。1958年には5月革命があります。アラン・レネなどは50年代初頭から記録映画作家としてキャリアをスタートさせています。しかし1959年にする方がどこかしっくりする。物語として。このことはすごく大事だと思っています。物語る上で。

美しきセルジュ/王手飛車取り [DVD]

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映画の文化もジャズ同様に、モーダルな地平にただ突き進むのではなく、むしろジャズよりも素早くモーダル/コーダルなものとして展開していく、といえる気がします。これは、映画が19世紀末に生まれた文化であることが大きいのではないかと想像します。たとえば、リュミエール兄弟の短編を続けて見るとわかるのですが、映画は、そもそもモーダルな潜在的な機能を秘めてスタートしたと言えそうなのです。このことは、「東京大学アルバート・アイラーー東大ジャズ講義録・歴史編」に続けて刊行されるだろう、後期授業が単行本になったときに、ブルースの問題として、呼応関係を結ぶのではないかと想像しています。

だとしたらブルースミュージシャンの系譜と呼応するのは、映画で置き換えた場合、ルノアールブレッソン、カール・テオドール・ドライエル、溝口健二小津安二郎などの映画作家なのではないか、と想像してしまいます。とはいえ、こう並べてみると、必ずしもぴったり来るわけではないことも見えてきます。形式の差が、呼応関係に良い意味でひびを入れている気もします。

そのようなわけで、アルバート・アイラーの「Love Cry」が本日のBGMです。「東京大学の〜」を読んで、購入しました。ほんとうにハラホレヒレハレでした。気持ち良いです。人格を疑われてしまうのかもしれませんが、とてもしっくりと来ます。アルバート・アイラーを最初に私に教えてくれた人は誰だったのか…正直記憶が曖昧です。しかし人に薦められて聴いて、変に好きになりました。最初に買ったアルバムは「グリニッチ・ヴィレッジのアルバート・アイラー」でした。"For John Coltrane"でまず、ぐぐぐ、と来まして。それから「Spritual Unity」。"Ghost"です。これではまってしまったのでした。"Ghost"は、あと、青山真治監督の「ユリイカ」も思い出します。それ以来、夏に聴くことが多くなった気がします。

ラヴ・クライ

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グリニッチ・ヴィレッジのアルバート・アイラー

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Spiritual Unity

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ユリイカ(EUREKA) [DVD]

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