Charles Hayward / リービ英雄「千々にくだけて」

BGM : Charles Hayward「Switch On War」

これは尋常でなくかっこいいです。たとえば、街の真ん中で、本当に耳を澄ませたら、聞こえてくるのはこうした音かもしれません。世界の裏側で、たえず流れ続けている音楽。もちろん、そうしたイメージはフィクションです。また個人的なものでもあるかもしれません。しかし、世界には、事実この音楽が指し示す、ざらついた、反復する、解決不能な、生々しさが、無数に存在しているのだと思うのです。いや、正確には、そうした状況それ自体に音楽があるのではなくて、それを見、感じ、無数の感情を抱えること、そこに音楽があるのだと思います。

好きな音楽は、たくさんあるのですけれど、チャールズ・ヘイワードの音楽は、私にとって、好きという以上に必要な音楽です。

Switch on War

Switch on War

チャールズ・ヘイワードの音楽を聴きながら、リービ英雄の「千々にくだけて」を読了しました。英語を母国語とする国に生まれ育ち、長じて日本に移り住み、日本語で小説を書く作家になる。彼が日本語のどこに惹かれたのか、私にはわかりません。しかし少なくとも、彼が2つの言語を「翻訳する」場所に立っていることの、その視点のもつ距離感からでしか見えてこない世界の層というのがある。「千々にくだけて」の、そうした部分に心動かされました。

たとえばevildoresという言葉を翻訳する。直訳すれば「悪を行う者」という意味らしいのです。911の時点で、ブッシュ大統領がこの言葉を使ったとき、日本のマスコミはこの言葉を、そのまま訳していたケースもあったでしょうし、またテロリストとか、それに類した言葉で、即時性のニュースの中で押し流されるように訳していたのかもしれません。宗教的な言い回しであることを、当時から指摘していた評論家もいたように記憶しています。しかし、おそらくこの言葉の翻訳の仕方はそれだけでは駄目で、英語を母国語とするものが、教会のサンデースクールで遙か昔に聴いたとても宗教的な言葉であることや、普段は使うはずもない大仰な言葉であることを、違和感や驚きと共に思い出す翻訳家の存在が同時にあってこそ、正しくこの言葉を訳しうるのではないかと思うのです。

翻訳しにくい言葉があります。翻訳が、2つの言語だけではなく、文化の間を渡す行為だとして、しかしそのためには、一方の文化にはあって一方にはない概念を、どう訳すのか、という問題が絶えずついて回るはずだ、と考えます。そこで、本来なら上手く訳せない言葉を、正しく訳そうとする。「千々にくだけて」は、そうした翻訳の正しさのために書かれた小説であったと思います。大事なのは、911を、一定の距離の中で、単なる翻訳不能なものとして、ただ海の向こうに起き留めておくのではなく、無数の誤訳(たとえばground zero=爆心地をWTC跡地に当てはめるといった「誤った」英語の使い方)への違和感を表明しながら、しかし適切な言葉があるわけではない現実そのものを、どう言葉で置き直していくか。

翻訳は、連想ゲームに近い要素があるのかもしれません。島々に砕ける波、松尾芭蕉の句、くずれおちるWTC,崩れ落ちたあとに舞い散った灰、911で飛行機の運行が止まり留め置かれたカナダの地で、主人公の中年作家が久しぶりに自ら触った性器が放つ精、アメリカを出てもはや日本こそが変えるべき場所である主人公が思い起こすアメリカの家族、そうした千々に砕けた無数のものは、どこかイメージを似通わせながら折り重なりはしないのです。そこには翻訳の本質があるのかもしれません。ずれてはいる。間違ったとすらいえるのかもしれません。しかしその配列の中で生まれる、とまどいや時間の流れが、ずれていた個々の翻訳を、正しくしていく可能性があるのではないか。とまどいや違和感を言うことで表せる正しい翻訳というのがあるのではないか、と思うのでした。

この小説で、英語で話された言葉を日本語で書くときの、あまりに下手な言い回しは、そうした下手さ、言葉としての違和感こそが、むしろ正しいからです。日本語と英語のあいだに、千々にくだけた隙間があるからなのだと思うのです。けれど、その隙間の中には翻訳の可能性がある。飛行機の中で隣り合った日本人の老女が、主人公に911のテロのニュースがまだ全貌を見せていない時点で、主人公に「大丈夫だ」というわけです。「戦争が終わったとき、わたくし、三日間も駅のホームで寝ました、いざとなったとき、大丈夫ですよ」。たとえば、そうした形で、日本の終戦911が折り重ねられます。不安に駆られている人々に対して、その体験をこのように翻訳して話す老女の存在は、WTC跡地をground zeroとよぶでたらめさに対して、ずっと誠実だと感じるのです。

そうそう、後書きを読むと、リービ英雄は本当に911当時カナダで足止めをされたようです。そうした現実の体験が、小説に翻訳されているとも言えますね。

千々にくだけて

千々にくだけて