John Coltrane「Giant Steps」/ さよならさよならハリウッド

BGM : John Coltrane「Giant Steps」

Giant Steps

Giant Steps

とても有名なアルバムですけれど、初めて聴きました。ゴム跳びのような楽しさです。

「さよならさよならハリウッド」を見ました。

ネタばれです。

もちろんスタントマンが替わりに演技しているのですけれど、ウディ・アレンがセットの2階から墜落するシーンがまず思い起こされます。もちろん、ウディ・アレンはコメディアンですけれど、彼が落下といった身体的なアクションで、笑いを生むことへの、微妙な違和感といいましょうか。あまり見た記憶がないのです。ウディ・アレンといえば、神経質に両手を動かしながらしゃべり続けても、移動の少ない俳優という感じがあります。特にある時期までは、彼が画面に映ると、神経質な過剰さの一方で、どこか安定した感触が絶えず漂っていたように思うのです。

ウディ・アレンは確かに老いたのだと思います。もう、反転したナルシズムすら結べない年齢になってしまったように思います。気持ちの良い物語に見せて、実はもうホラーのような恋愛映画を撮っているのだと思います。年甲斐もなく恋を物語るという感じはしないのです。また年甲斐に枯れた魅力なのでもないです。年を取ったあとも、身体を荒らし続けるウディ・アレンは、どこかでたらめさを獲得したように感じるのです。もう、何もかもがバラバラででたらめで、まともじゃない。ナンセンスな状況は、過去にもあったシチュエーションですが、問題はそこではなく、そうした状況を彼自身がつなぎ止めることが出来ない。ただ解決のつかないバラバラな状況が、無理矢理並んでしまう。すると、ノスタルジーとかも、どこにも見いだせないのです。ただ、彼はここにいて、目が見えなくても、なぜか映画を撮りあげてしまう。それもでたらめな映画なのです。では、そこにある軽やかさとはなんだろうと思います。ただでたらめなだけのものを、軽やかさとは見て取れません。また、バラバラな状況を、自らの求心力でまとめ上げる軽やかさになどほど遠いです。そうではなくて、自らのでたらめさや無価値さを切断面とすることでただでさえバラバラな世界を更にバラバラにしていきます。けれど、結果的に並んだものは、切断面としての自分にとどまり続けることで、なんとか繋がっていき、偶然どこかへ人を導いたりもするのでした。