Etron Fou Leloublan / 交渉人 真下正義

BGM : Etron Fou Leloublan「三狂人珍道中」

フランス語だと文字化けが予想されるので、邦題で書きました。これまで、エトロン・フー・ルルーブランを聴いてこなかったことを、かなり後悔しています。素晴らしいです。破天荒な楽しさって、たとえばキャプテン・ビーフハートも思い出しますけれど、ただ破天荒だったらなんでも楽しいかというとそうではないわけで、破天荒であることと綿密さ(?)の同居を楽しむことが、聞き手の素養としても求められている気がします(当たり前なのでしょうけれど)。演劇的だったり大道芸的だったり、というのも一種の見せかけなのでしょうけれど、それも含めて「アンサンブルはやっぱり重要」ってことなのでしょう。綿密さに「?」をつけたのは、綿密ではないわけではないのだけど、他方でたらめさへと絶えず接続するような綿密さを、一般的な意味で「綿密」と言っていいかどうかわからなかったからで…って、これもなにかとても当たり前のことを丁寧に言っているだけな気がします。

しかし、amazonではヒットしないみたいですね。いいアルバムだと思うのだけどなぁ。ですので、Locus SolusのHPへのリンクを貼っておきます。

他のアルバムも買いたいですねー。貧しいです。

本広克行監督「交渉人 真下正義」を見ました。期待値よりもだいぶ面白かったのは、テレビ番組「踊る大捜査線」をほとんど見ておらず、そこに思い入れが全くないからかもしれません。主人公がユースケサンタマリア一人に絞られていて、非常に見やすかったのです。

ところで一つ疑問が…。すごく気になっているのですが、あの映画の中で地下鉄を暴走する独立型の試作車両は、別の路線に乗り変わる際、ポイントチェンジをどうしていたのでしょう?ポイントチェンジも、自分で出来るわけではない気がするのですが。地下鉄の中央管理室のコンピューターは、ハッキングされないために独立型となっていて、外からコントロールされないのだとすると、ポイントチェンジの謎はいっそう深まると思います。

以下、ネタばれです。

でも、これって、もしかしたら、本質的な問題なのかもしれません。「交渉人〜」では、地下鉄を舞台にした物語が、地下鉄の設定などあまり重要ではなかったかのように、かなり強引にその外側へと飛び出てしまうのですけれど、そうしたジャンプが物語的に可能なのは、ポイントチェンジへのこだわりを有さないからだと言えるのでしょう。それは、話を面白くするために敢えて無視された細部なのかもしれません。ただ、もうすこし別の見方も出来る気がします。

交渉人 真下正義」は、交渉(条件を出し合ったり、説得したり)の映画と言うよりも、情報合戦の映画です。映画のタイトルや本のタイトル、謎の数字などが、地下鉄を暴走させている犯人から示され、いくつかのキーワードを同時検索することで、関連性を見つけていき、犯人へと迫っていきます。こうした無数の情報を、オタク的な手際でフラットに並べてゲーム化するというのは、「踊る大捜査線」シリーズ全般に見られる傾向だと思いますし、そこにはとても現代的な可能性も感じます。しかし他方で、一見フラットに並べられた、等価の情報が、実はある種のジャンプによって、恣意的に方向付けられ、本来は結論に向かわない情報の欠落がすべて「勘」で埋めて行かれるのだとしたら、どうなるのでしょう?そこに情報と検索の現代的な可能性、そこで発揮されうる欲望との離反が起こってしまうのではないか、と思うのです。

その危うさを、職人的な勘の醍醐味だけで、今後も埋めていくのか、それとも情報検索の可能性の細部に拘っていくのか、「交渉人〜」の続編にあたる「容疑者 室井慎次」に期待したいと思います。