終わらない物語〜アビバの場合〜 / Ornette Coleman

BGM : Ornette Coleman「The Shape Of Jazz To Come」

The Shape of Jazz to Come

The Shape of Jazz to Come

これは「東京大学アルバート・アイラー」の影響で購入したのではなくて、だいぶ前、フリージャズという言葉の響きだけに憧れてよくわからないまま購入し、でもなぜか感銘を受けてしまった不思議なアルバムです。単に聴きやすいと言うこともあるのでしょうけれど、偏な居心地の悪さがあって、だまし絵を見ている的な(しかもそのだまし絵が、絵を結ぶようで結ばない的な)いらいらに似たものを感じ取ったりもします。アルバート・アイラーの手に負えない突き抜けた感じとは違っています。ただ、アイラーも突き抜けていながら別世界ではない妙な生々しさが、私にとってはやばい感触に繋がっているのですけれど。

やっぱりT1「Lonely Woman」が好きですね。

「終わらない物語〜アビバの場合〜」を見ました。トット・ソロンズの最新作です。子どもが欲しい、子どもを愛したいと強く、純粋に願うアビバが、両親の友人の息子と望んでセックスをし、子どもを体内に授かるが…という風にしてはじまるアビバの冒険は、ソロンズらしい、どこまでもきれい事ではない現実につきまとわられていくのですが*1、それでもアビバは汚れることなく、心から愛を探し求める、という現代のおとぎ話です。

「現代のおとぎ話」といった惹句がぴったり当て嵌まってしまうところに、ソロンズの弱さがあるのも事実だとは思いますし(結局は、意図的に過剰にしたり、悪意を込めたりした分、聖者としてのアビバが立ち上がって来るという構図は、現実を扱うにはあまりに簡易化された図式だと思います)、また世界に無数にいるだろう聖者たる少女を、実際複数の女優に演じさせるという演出も、私にはそれほどぴんと来るものではありませんでした。同一の物語を複数の少女が演じることの可能性は、やはり微細なずれの中に生まれるのでしょうが、だとしたらこの映画はあまりに、少女に共通の聖性を与えすぎているように思うのです。象徴的な物語が先に立ってしまう分、個別の女優の粒だちを(大事に演出しながらも)どこかで物語に押し込めてしまったのではないか?声の出し方を統一させた部分も、その意味では少し弱かったと思います。

しかし、だとしても少女たちそれぞれの演技、演技以上に肉体性が、この映画ではとても魅力的だと思います。皆がヘソ出しの服を着ているのですが、痩せすぎかやや太っていて似合わない。けれど、だらしなくはみ出た肉、貧相な胸にこそ、あるいは舌を突き出すようにして喋る変わった話し方の口の動きにこそ、アビバたちのそれぞれの肉体性、粒だちが宿っているのだと思います。

ところで映画の冒頭は、女の子のお葬式なのですが、あとでHPを見たところ、「ウェルカム・ドールハウス」の主人公だったドーンが、自殺をしたという設定なのだそうです。

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*1:ネタばれですが……たとえば、堕胎医であり、堕胎医を暗殺しようとする極右の宗教集団であり、小児性愛者でありアナルセックスを求める男性をアビバが愛してしまったり、実は極右宗教団体の殺し屋だった男と一緒に自分に堕胎手術を施した医師を殺しに行ったり、そのとき医師だけではなくその娘まで殺してしまったり、男はあっけなく警察に撃ち殺されてしまったり。