50回目のファースト・キス / Ornette Coleman(2)

BGM : Ornette Coleman「Free Jazz」

Free Jazz

Free Jazz

オーネット・コールマンは、そんなわけですっかり気に入ってしまい、すぐにこのアルバムも買ったのでした。ただ、当時はこのアルバムはまったく気に入らなかったらしく(笑)、そのあたりまだ聞き慣れていない部分もあったのでしょう、しばらくしまっていたのですが、こうやって再度引っ張り出して聞いてみると、やっぱり面白いです。言い澱み、が近い気がします。「あれ、言葉が出ないなぁ」とかそういうときに頭にわき起こっている思索のあり方です。構造から逃げているわけでも、破壊しているわけでもなく、とはいえ、何かの手前でもない。言いよどみ、というと、何も言えていないようですが、思考はそのときには動いていて、それが音になってしまえば、いわばすでに表現されてしまってもいるわけです。しかし、意図的に言い澱むことなど出来るわけはないので、もしかしたらこれは「聞き澱み」とでも言うべきなのかもしれません。とか、でたらめです。相変わらず。

ピーター・シーガル監督の「50回目のファースト・キス」を見ました。

映画の冒頭5分で、退屈な映画を見に来てしまったとかなり後悔モードに突入したのですが(なんせ、アダム・サンドラーが、ハワイに来た観光客を次から次に手玉に取るプレイボーイという最初の設定から、微妙に拒否感が(笑)。かつ、そのエピソードを巡る演出がかったるくて…)、ドリュ・バリモアが登場するあたりからぐんと面白くなっていきます。設定がすごく良いのですよね。1日で記憶をなくしてしまう女性と、どうやって恋愛を続けるのか。それまでのプレイボーイぶりなど嘘のように、ひたすら彼女を大事にし、キスすら迫ることなく、毎日のようにデートしては忘れ去られることを繰り返しながら、アダム・サンドラーは少しずつ、彼女とどうやって過ごしていけばいいのか、方法を見つけていくわけです。

以下、ネタばれです。

またその過程で、アダム・サンドラーが来るまでは、彼女を守ろうとするあまり彼女に脳の障害を気取られないよう毎日同じ1日を繰り返し続けた父親や彼女の弟にも認められていき、1日の始めに、ビデオで彼女に彼女自身のことを知らせて、納得させてからデートするようになり、いつも忘れ去られてしまう最初のキスを何度も繰り返し、最初の夜を繰り返して、少しずつ、二人の関係が成立していきます。

自分の犠牲に彼をしたくないが故に、彼の記録を日記からすべて抹消し、忘れ去ろうとするのですが、それでも彼の姿が夢に出てきて…というエピソードは確かに緩いと思いますが、それでも気持ち良い映画なのは、結局、本質的には記憶して貰うために努力するのではなく、新しくその日その日を生きて貰うために、ドリモアに日々アプローチしていく、つまり相手と同じ場所で試みを続ける姿勢なのだと思います。だって、普通に健康だと思うのですよ。そういうのって。

ところで、男女は違いますが同じ設定を用いた傑作に、ジャン=ピエール・リモザンの「NOVO」があります。数分しか記憶を維持できない男が、絶えず新しく生まれ変わるかのようであることを肯定し、そこに起こる諸関係に新しい可能性を見出すような、そんな恋愛映画です。

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