岩井克人「会社はこれからどうなるのか」 / Sonny Rollins

先日書店に入ったら、岩井克人の新刊「会社はだれのものか」が出ていましたので、早速購入しました。昨年読んで、大変勉強になった「会社はこれからどうなるのか」の続編として位置づけられているらしく、現在、半分まで読んだのですが、なるほど「会社はこれからどうなるのか」が、基調となる論考だとしたら、その本を出したリアクションをサーチし、かつ現在の状況を加味した、自分自身としての返答が「会社はだれのものか」という書物なのではないかと思われます。ただ、このあたり詳しくは、「会社はだれのものか」読了後に書こうと思います。今日は、それに先駆けて「会社はこれからどうなるのか」のおさらいを、自分なりに。

会社はこれからどうなるのか

会社はこれからどうなるのか

一番のポイントは(「会社はだれのものか」でも改めて記されているのですが)、法人としての会社とは、株を通して売買可能なモノとしての側面と、資産を持ち経営や契約の主体としても認められたヒトとしての側面の両方を持っており、二義的な存在であるということです。ヒトがヒトを所有するのは奴隷制度ですから、ヒトとしての会社は株主にも所有できないという大原則があり、株主に所有可能なのはモノとしての会社のみで、会社の資産はヒトとしての会社にある、それを混同すると大変な過ちを犯すことになる、というところだと思います。特に、人的資産こそが重要なポスト資本主義社会では、株主が会社の資産を持ちうるという錯覚は、おおいに誤りだと言えるわけです。

ほほー、と素直に感心してしまいました。もちろん、だからといって、会社が株主から独立して経営できるわけではない(当たり前ですね。役員を選ぶのは株主だし、資本金は株主が提供するのだし)のですけれど、ただエンロンに代表されるように、株主主権論が過剰に進むと、コーポレート・ガバナンスが変質し、弊害を生じさせた、などという指摘を読むと、モノとしての会社ではなく、ヒトとしての会社から考えていかないとだめだよね、と素朴に思うわけです。とくにコア・コンピタンスはやはり人的資産に在するだろう、なんてことは、経営者ではなくとも考えていくべきだと思うのです。そんなところから、自立した思考が出来る社会人に、ヒトはなっていくと思いますので。

BGM : Sonny Rollins「Way Out West」

Way Out West

Way Out West

徹夜明けに相応しい感じで、気持ち良いのだけど、なんでしょう?今ひとつ掴み所がないようです。でも、つまらないというわけでもありません。こう言うときは、仕切り直しをします。別のアルバムを聴いて、体験を積み重ねてみてから、改めて考えることにします。