はるか17 / 映画 日本国憲法 / Heiner Goebbels

つけっぱなしのテレビで、偶然はじまった「はるか17」を何の気なしに見ていたのですけれど、面白くて最後まで見てしまいました(ドラマを、1話だけとはいえ、最初から最後まで見通すことは、私にはとてもめづらしい事なんです)。ある意味、とても健康な、抵抗の物語。権力に負けたくない、という気持ちへの共感だけで、おもしろがっているのでは、といわれたら、それまでかもしれませんが、楽しかった。

悪の芸能プロダクションに立ち向かう、弱小プロダクションのアイドル(しかも年齢を5歳も詐称)。敵の土俵で、敵の使う汚い手は使わずに、どう闘っていけるのか。とはいえ「汚い手は使わない」というのは「したたかでない」と同義ではないのです。充分したたかに、しかし汚い手ではなく…なんて、実は突き詰めれば怪しいところも出てくるわけですが(笑)。精神の健康を損なわないことが、したたかさと汚い手の区分けされるところかもしれません。もっとも、自分が汚れていても、自分自身では気づかないものだろうから、やはり区分けは怪しいのですけれどね。そもそも5歳の年齢詐称は「汚い手」なのか「したたかさ」なのか、結局は判然としないのです。それは、生き方の中で決めればよい、というのも所詮言い訳です。その場その場で、選ぶしかない、という言い方なら、ぎりぎりオッケーかもしれません。

中井英夫の「戦中日記 彼方より 完全版」を半ばまで読み進めました。日記とは美しくも書けるものなのです。文章の明晰さは、個人的な悔恨や死んだ母への強い慕情、戦争への憎悪の果てない連鎖の中でも失われず、むしろ華麗さを帯びているのでした。ナルシシズムになってしまいかねない危うさも、筆力で切り抜けていくのです。憧れます。しかし、日記とはかくあるべき、と思い乍ら、ただ叶わず繰り返す憧れの情を、己の弱き心に燻らせるのだ。日々猿まねの如く思想もなく書き連ねた言葉が、塵にすらならず、消えてなくならず、腐臭を放ち半ば崩れながら、抽象的な後悔の塊になる、そのような日記しか書き綴ることが出来ないのだ、という感じです(笑)。

戦時、というキーワードから、ロンドンの同時多発テロの話にうつるのですが、メディアからは、いよいよ雲をつかむような情報ばかり流れてきます。7日の事件も含めて、いっこうに整理された感がありません。その一方で犯人とおぼしき人物が射殺されたと言われ*1、根拠はよくわからないままにアルカイダが主犯との名指し報道が続く、といった感じで、結論だけがわかっているかのように、何かの方向へと突き進んでいるかのようです。こういう種類のきな臭さは太平洋戦争当時の日本にもあったのでした。しかし、ここでもう一度中井英夫の話に戻るのはやめておきます。読了してから、何か書こうと思います。

憲法改正論議も、見ていると、一種戦争的な、相容れない2者の対立の構図のまま話が進んでいる気がします。私は元々、改憲派護憲派か、といった見方は好きではなく、むしろ「いまどき憲法論議なんて」という浅田彰田中康夫の姿勢の方が、ずっとぴんと来るわけです(該当記事はこちら)。確かに、60年も改正されずに来た、というだけで、現憲法は立派に国民に肯定されている、今更押しつけられたとか言うのもね、と思いますし。護憲派などと、肩肘を張らなくてもいいのではないかと思うわけです。

ただ、新聞に公表された、自民党による憲法改正の素案*2とかを読むと、不安…いや、どちらかというと、気持ち悪くなるのも事実です。たとえば、前文に盛り込むべき要素として、

(1)国の生成(抜粋)
日本国民が多様な文化を受容して高い独自の文化を形成したこと。我々は多元的な価値を認め、和の精神をもって国の繁栄をはかり、国民統合の象徴たる天皇と共に歴史を刻んできたこと。

とあります。「多元的な価値」と「国民統合の象徴たる天皇」という併記の気持ち悪さですね。現実的にそぐわなくなっている部分を、無理矢理まとめてしまっているのではないか、と思うわけです。

憲法第9条を意識した部分は、もっと気持ち悪いです。

(前文に盛り込むべき要素より)
(3)国の目標(抜粋)
外に向けては、国際協調を旨とし、積極的に世界の平和と諸国民の幸福に貢献する。地球上いずこにおいても圧政や人権侵害を排除するための不断の努力を怠らない。地球環境の保全と世界文化の創造に寄与する。

【安全保障及び非常事態】
1.戦後日本の平和国家としての国際的信頼と実績を高く評価し、これを今後とも重視することとともに、我が国の平和主義の原則が不変のものであることを盛り込む。
さらに、積極的に国際社会の平和に向けて努力するという主旨を明記する。
2.自衛のために自衛軍を保持する。
自衛軍は、国際の平和と安定に寄与することができる。
3.内閣総理大臣の最高指揮権及び民主的文民統制の原則に関する規定を盛り込む。

たとえば、昨年のイラク爆撃などをアメリカが先陣を切って行った場合、日本は一緒に爆弾を落とす国になる、ということでしょうか。充分な正義の名において。

すると、やはり斜に構えるよりは、いろいろ(呟きであれ)言っておきたい気にもなるわけですね。

今日、ジャン・ユンカーマン監督の「映画 日本国憲法」を見ました。映画としては、正直どうなのか、と思います。憲法改正論者が、一定の結論を最初から用意して話すように、護憲論者も、過程ではなく結論がありきになってしまう。いや、単に権力の圧政に反抗することはよいことなのです。しかし、結論がまずありきでは、世界中の識者の意見をどれほど切り貼りで集めても、単調なスローガンのパッチワークに過ぎなくなってしまうのではないか、そしてその結果、思考停止してしまう可能性を、憲法改悪反対、と叫びながら用意してしまっているのではないか、と恐れるわけです。取材に答えている個々の人々はかなり魅力的で、彼らにもう少し持続してカメラを向け続けたら違ったのに、もっと人として話を聞いていけば違ったのに、と思うのです。護憲派改憲派、などという二元論を食い破って憲法を考えるとは、人としてこの問題にどうかかわろうとするか、という曖昧さも孕んだやり方にかかっていると思いますしね。

しかし、弱点があってもこの映画が面白いのは、日本国内だけで憲法を考えていると見落としがちなことが話されるからです。たとえば憲法9条は、傷だらけでも機能している、という指摘です。確かに、戦後60年日本国憲法のもと、日本では、軍隊が正義のためであれ、何であれ、他国の人間を殺すという出来事を起こしてはいないわけです。そしてそれは、単に日本が戦争をしていなかったからだけではなく、したくても出来なかったからです。憲法第9条は、つまり安全弁として有効だった。だから、残しておいた方がいい、というのは、確かにそうだと思います。日本国民としては、(護憲論者であれ、改憲論者であれ)第9条を骨抜きにしてきた歴史として捉えがちなことも、一歩身を引けば、そう見えると言うことです。

それからもう一つ、第9条が諸外国に対しての看板として誇りうるものだ、というところですね。平和憲法発布を通して、戦後日本はもう他国を攻めることはないと世界に約束し、それを守ってきたわけです。当たり前に聞こえますが、映画の中で指摘されるように、実はそう当たり前でもなくて、たとえばアメリカは、戦争こそ当たり前なわけです。アメリカ内部で戦ってはいないにしても、四六時中戦争をしている。「日本は平和が常識」と語られるのですが、それは看板としての憲法を見せることで、いっそう諸外国に明確に伝わるメッセージになるかもしれません。逆に、この看板を失うと、アジアの反日感情はいっそう深まるかもしれない、と映画の中では語られます(改憲論者の一部は、それも含めて外交上の中国や韓国の陰謀であり、内政干渉だ、というのかもしれませんが…)。ともあれ、憲法第9条は一つのブランドであるわけです。ならば、そこからメリットを生み出すしたたかさくらいは持つべきだと思うのです。

このように複数の意味で、第9条は機能していると思われます。そこにはメリットがあり、当然失われるデメリットもある。改憲論者は、別のメリットとデメリットを提示するでしょう。それを私たちは秤に掛けていくわけです(国民投票もありますしね)。ただ私の秤では、少なくとも自民党の素案は、かなり気持ち悪いだけのものだったのですけれど(個人的には、美意識を秤の重要な基準にすることは、とても大事だと思います)。

BGM : Heiner Goebbels「Ou Bein Le Debarquement Desastreux」

Ou Bien Le Debarquement Desastreux

Ou Bien Le Debarquement Desastreux

なんとなく。語学力がないのは悲しい。あと、舞台で見たら、おそらくもっと魅力的に響いたはずなのです。ああ、ここには創造的なパッチワークがあります。思索を耐えず刺激するような種類の、音楽のパッチワークです。そこにテキストも加わっているはずなのですが…。

*1:7/24の報道で、新たな事実がわかりましたので、補足を書きました。http://d.hatena.ne.jp/erewhon/20050726/1122178337

*2:自民党のHPに掲載されています。http://www.jimin.jp/jimin/shin_kenpou/shiryou/ です。ただし、PDFになっているのですが、私の環境では文字化けしてしまいました。同じだという方は、憲法改悪共同センターにhtmlで読めるものがありましたので、リンクを貼っておきます。http://www.kyodo-center.jp/ugoki/kiji/jimin-sinkenpou1.htm