椎名林檎 / しりあがり寿「ジャカランダ」

鋼の錬金術師の10巻と11巻を読みました。そうかー、人体錬成がうまく行かないのは、そういう理由だったのか、と納得です。鋼の錬金術師について昨日の日記で書いた人体錬成の出来ない理由は、ちょっと間違っていたみたいです。生命と等価なものは何か、という問題とは離れて、もっとロジカルに錬成できない理由が明らかになってました。

BGM : 椎名林檎勝訴ストリップ

勝訴ストリップ

勝訴ストリップ

確かに椎名林檎の選ぶ言葉はすべてどこか流通しやすい味付けがあるとは思うのですけれど、それが悪いと言われると違和感があるのでした(そこを敢えて全面肯定もしないですけれど)。私としては、確信犯として彼女が見せる七変化、八変化、百変化と、それを裏打ちする音に対してのセンスの良さ(音楽オタク的なこだわり)が、まずとても気持ち良く思えます。それを前提に、なお統一したスタイルとイメージを戦略的に維持している巧みさ(あざとさ)に好感を持ちます。要は、彼女の虚像のなかの実体のなさにこそ、彼女の音楽があることをちゃんと聴かないといけないと思うのでした(そこには、とても現代的なモノがあると思うので)。

すべてが虚像だ、というのではないですよ。彼女の書く歌詞にも、歌い方にも、エモーショナルなものは込められているし、切実さはあると思うのです。ただ、その紐を辿っていっても、彼女の本体にはたどり着かないだろうなぁと。フィクションとしての情熱、というとネガティブに聞こえそうですけれど、フィクションであれ、そこに情熱を宿らせるためには、それを作り出すクリエイターの情熱と欲望がなければ難しいでしょう。その衝動と音楽が、必ずしもリンクして無くても言い、というだけです。仮面の裏の空洞も含めて響くものを聴くことが、面白いと思います。

そのうち、まったく別種の音楽をやりはじめそうな気がするのですけれど。一度、ライブに行ってみたいなぁ。

しりあがり寿ジャカランダ」を読みました。現在の時点では、しりあがり寿の最高傑作だと思っている「方舟」のライン上にある、終末モノですが、希望も絶望も命も水の中に静かに沈めていき、最後には何一つ残らない静謐なイメージに満ちた「方舟」と比べて、残酷な崩壊の轟音に満ちた本作は、まずしりあがり寿の画力に圧倒されます。東京の中心で芽を吹いた木の芽が、一晩で巨大な樹木に育つ、伸びていく根は、ガス管を寸断し地面をめくりあげ、東京中で爆発と事故が連鎖して、無数の人間が燃えて死んでいくのですけれど、コミックの後半は、ひたすら丸焦げになっていく人や建物のオンパレードで、それを台詞もほとんどない煙と煤と死体だらけの真っ黒な絵のコマの積み重ねで描いていくところは、すごい迫力です。「宇宙戦争」(7/19の日記7/12の日記)が、アメリカに難民の群れを出現させる映画だとしたら、「ジャカランダ」は、東京に難民を出現させるためのマンガであるといえるかもしれません。

ジャカランダ

ジャカランダ

方舟

方舟

さて、「宇宙戦争」との共通項は、もうひとつ、そんな大規模にして理由のない虐殺をしてしまったあと、物語をどのように終わらせるか、というところの難しさにもあったと思います。「方舟」は、あくまで静謐さへと向かっていくのに対して、「ジャカランダ」は轟音であって、それはいずれ止むわけです。そこにしりあがり寿はとても美しいラストを用意します。その美しさは圧倒的なモノとして、提示されます。私としては、「方舟」のラストの無意味さや「ア○ス」の日常への帰還のほうにより動かされるのですが、逆に、もはやそういうモノでは足りない、美しさが必要だ、ということなのかもしれません。それほど、何かが枯れ、飢えていると言うことなのかもしれません。