皇帝ペンギン / 史上最強の弟子ケンイチ / Michel Legrand

大ヒット中の「皇帝ペンギン」見てきました。ペンギンは実に可愛いです。可愛さのストップ高という感じです。子ペンギンの可愛さなんて、暴力の域です。ああ、猛禽類になって食べてしまいたい。

そうしたどう猛な欲望が、地球の温暖化を進めるのでしょうか?映画の中では、現在ペンギンたちを襲う最大の脅威、温暖化問題は、ブリザードの前で消し飛んでしまっているのですが、かなり深刻なようですね。あまり適当なサイトが見つからなかったのですが、ビジネスイノベーダー(現nikkeibp.jpビジネススタイル)のアーカイブ、2003/7/1の記事から、以下の記載を見つけました

地球全体の温暖化は、まだそれほどはっきりとは現れていませんが、極地方では一足先に温暖化が明確になっています。さまざまなシミュレーションの結果、地球全体の平均気温が2〜3度上昇の時、極地方では10度の上昇になることがわかっているのです。

南極大陸から突きだした南極半島では、夏場、10度を超える日が出てきました。ペンギンの繁殖地では今も多くのヒナが生まれてはいますが、ペンギンは寒さには強くても暑さには弱い生き物です。特にヒナは体温調節がうまくできず、10度という暑さに耐えるために、羽毛に覆われていない足の裏を投げ出して体温を放出するといった行動が見られるようになりました。

また10年前にはほとんど降らなかった雨が年間20日も降るようになっています。ヒナの羽毛はまだ水をはじくことができないので、雨が降るとぬれてぺったりからだに着いてしまい、どんどん体温を奪っていきます。

雨が降るとすぐに流れて川ができます。しかしペンギンたちは、巣を、水が流れることを考えて作る習慣がありません。そのためペンギンの巣はたちまち流されてしまいます。ヒナは雨で致命的なダメージを受けて、繁殖に失敗する例が増えています。

このほかにも、温暖化で生態系が変わって、エサが無くなっていくのではないか、といった問題も生じているようです。そもそもペンギンの最大の敵は人間で、以前は大人のペンギンは油を取るために、たまごは食用で乱獲をしたこともあったとのこと。映画のナレーションは、ペンギンの親子の厳しい生きるための闘いを、人間が代弁するという感じなのですが、実際人間に近いのは、ペンギンを食べるアザラシか、子ペンギンを襲う猛禽類の方なのですよね*1 *2

日本のみならず、アメリカでも、異例の大ヒットになっていると聞きました(アメリカのドキュメンタリー映画史上最大のヒット作「華氏911」には、さすがに届かないようですが)。そういえば、アメリカは京都議定書を蹴飛ばした、温暖化最右翼国家でもあります。

…少しまじめに言ってしまうと、「皇帝ペンギン」の様な≪物語化≫に対し、警戒心がむくむくと起きあがるバランス感覚が、私は大事だと思います。この映画は、やはり人間のモノローグを現実(この場合、皇帝ペンギンの現実)に押しつけ、人間が受け取りやすい物語に転換していると思うのですね。「だからエンターテインメントとして楽しめるのだ」という方もいらっしゃるかもしれません。しかし、そうした物語だけを無批判に受け取り、感動してしまったりすると、肝心の現実そのものを見落としかねないと思うのです。充分に警戒しないといけない、と、一昨日の日記を思い返しつつ書き添えてみました。

もう一つ、補足。「皇帝ペンギン」音楽がエミリー・シモンでしたね。曲によっては、映画と微妙にマッチしていない気もしましたが、エミリー・シモン自体は好きです。サントラ、売れているのでしょうか?ちなみに、私が気に入っているのは、このアルバムです。

Emilie Simon

Emilie Simon

日本版も出ているようですが、ジャケがなかったので、こちらを貼り付けました。

あと、松江名俊史上最強の弟子ケンイチ」17巻を購入した話も。少年サンデー連載の格闘マンガで、何の才能もなかった普通の高校生ケンイチが、格闘技を身につけている憧れの美少女・風林寺美羽に近づくために、美羽の紹介してくれた道場に入門するのですが、そこにいるのは超人的な格闘技の達人たちで、死ぬような特訓を受けつつ、やはり格闘技を学んだ不良たちと戦ったりもしながら、少しずつ強くなっていくという作品です。

史上最強の弟子ケンイチ 17 (少年サンデーコミックス)

史上最強の弟子ケンイチ 17 (少年サンデーコミックス)

心優しい、気弱とすら言える性格なのに、いざ人のためとなると、闘いを恐れず、どんな辛い修行も乗り越える芯の強さがある主人公ケンイチのキャラクターは、いかにも少年誌ではあります。しかし、にも関わらず単調な印象を与えないのは、ケンイチの師匠になる格闘家が、カラテ、柔術、中国拳法、ムエタイ、剣術と5人もいて、その5人との関わり合いの中で物語が展開するからだ、と言えます。5つの格闘技は、それぞれアクションに特徴があるのですが、ケンイチが強くなっていくごとに、それら5つの格闘技の技がどんどんミックスされていく、つまり動きがどんどん複雑化していくわけですね。これがまず楽しい。また、そうしたアクションの面白さと平行して、かなり変わり者揃いの師匠たちそれぞれの、謎に満ちた実体が少しずつ明らかになっていったりもします。そこにも、ケンイチは様々な形でかかわり、その組み合わせが物語のバリエーションを構築するのです。

更に、師匠たちだけではなく、ケンイチは、敵となる同年代の不良たちとも闘い、闘いを通して相互に認め合ったりもします。その敵たちも、様々な格闘技を学んでおり、結果ケンイチは対決する相手ごとに異なる、様々なアクションのバリエーションを繰り広げることになります。

これは、松江名俊が漫画家として、格闘アクションの動きを描き分ける高い技術を持っているから可能なことだと思います。ストーリーテラーとしても、登場人物の順列組み合わせを巧みに行って、ただ強い敵がどんどん出てくるだけの格闘漫画的なインフレを起こさない工夫がきちんと為されています。どんどんと敵が味方になって、仲間が増えていく、という部分は、たしかにいかにも少年誌ですが、そこに無数の動きのバリエーションがあるので、まったく飽きさせないのです。

 ※

BGM : Michel Legrand And His Orchestra「Legrand In Rio

ルグラン・イン・リオ

ルグラン・イン・リオ

なんか、ぜんぜんリオな感じがしないのです。ハリウッド映画が描くヨーロッパのような距離感が、パリのミュージシャン、ルグランのイメージするリオにはあるのかもしれません。

しかし、たとえばポール・ウィンターの「RIO」に、リオを感じるのも、結局はフィクションではないか、といってしまうと、すべてが幻想に過ぎないわけです。結局は、東京からリオまでの距離には無数の幻想が入り込む余地がある。それを楽しんでしまうならば、このルグランの描く「リオ」も、リオだと言って差し支えないはずです。

とはいえルグランも、パリとリオとの距離感に、意識的にメキシコのスタンダード「ベサメ・ムーチョ」(T2)を挿入したりするわけですから、私が最初に感じた違和感も、的はずれとは言いがたいのですが。

*1:後日追記:と書いてみましたが、一応補足すると、温暖化現象自体はまだ人間による二酸化炭素排出増加が理由とは証明されていないようです。元々地球は緩やかに寒冷を繰り返してきており、その流れの一環ではないかという見方もあるとのこと。とはいえ、科学的には仮定に過ぎなくても「温暖化は人間による二酸化炭素排出が原因の可能性がある」ならば、手遅れにならないうちに対処するのは当然必要だとも思います。

*2:後日追記:田中宇氏のHPで「地球温暖化問題の歪曲」という記事が掲載されていました。これはこれで面白かったです