郵政民営化 / Bill Evans

BGM: Bill Evans Trio「Portrait in Jazz」

Portrait in Jazz

Portrait in Jazz

ビル・エヴァンスですが、夏の朝にもちゃんとフィットするのですけれど、秋でも冬でも春でもフィットしそうな気がします。「AUTUMN LEAVES」なんて曲も収録されていますから、秋の音楽なのでしょうか。いや、そもそも季節と音楽をつなぎ止めて考えるのが、どこか思考パターンを限定することにつながっている気もしますね。

今回の9/11衆議院選挙は、郵政民営化賛成か反対かを問う選挙である、と小泉首相は言っているわけですけれど、国会という場所は、この法案だけを論じる場所ではないわけで、どうも居心地の悪い話だと思います。小泉内閣を支持でも、郵政民営化反対という人は、どこに投票すればよいのだろう、ということですね。≪郵政民営化賛成=小泉内閣支持≫なのか、どうか。その2つを1つのことのように考えることに、一種の論理の飛躍があるのは間違いないと思います。

マニフェストって、(主に自民党民主党感のことですが)政党ごとの差がつかないとか、揶揄されがちだったですけれど、悪くはないと思うのですよね。マニフェストでは、複数の問題を検証し、政党として方針をうたわなければならない。それは最低限必要なことですから。しかし、今回の選挙では郵政民営化一本槍になっています(自民党の選挙戦略と共犯的に、マスコミもその流れを作ってしまっている)。しかし、≪選挙の争点=郵政民営化≫といった形で1つのイシューだけが大事であるかのように押しつけるのは、かなり危険で暴力的なことだと思うわけです。郵政民営化が成立したら、すぐにもう一度衆議院解散して、別のイシューを立てて選挙するわけではなく、その後も、そこで選出された体制で国政は続くわけですから。小泉首相のロジックでいくならば、いっそ直接民主主義に切り替えたほうがずっとよい、みたいな話になるわけです。法案全部を直接投票で行うとか。もちろん国がもたないです(笑)。

≪改革=郵政民営化≫という等号がまかり通っているという言い方も可能かもしれません。小泉首相の問題は、こうした等号を、あたかも正当なことのように言ってしまうところだと思います。改革すべきところは、他にもまだたくさんあったはずですしね。たとえば、年金は、税は、福祉の問題はどうなのか。新憲法などの論議もなされていますね。そうしたことすべてを並べて貰った上で、私としては投票に向かいたいと思うわけです。この点は、マスメディアのチェック機能って問題も大きいですけれど。

地動説のガリレオは、(宗教的でもある)常識/権力とは別に科学的な事実があることを示した訳ですが、そこには科学的な検証がまずあったわけです。そのガリレオと自分を等号で結ぶ小泉首相が掲げるのは、しかし象徴としての郵政民営化や、その中心にある彼自身を信じるかどうか、そういう宗教的な問いかけで、これはかなり危ういと思います。現実の複雑さを、すべてわかりやすさに還元していくと、どこかで暴力的な部分が出てきてしまう。現実とどう向き合うか、みたいなことに、当たり前ですけれど気をつけていかなければならないと思うのです。

このあたりの話は、衆議院解散時に書いた日記にも通じていますね。

ところで、郵政民営化論議それ自体についても、同様に硬直化したものを私は感じています。そもそも「郵政問題」がまずあった。既得権益の温床になっていた郵政三事業をどう改革していくか。これは、まあ大事なわけですけれど、それは「民営化」一本槍でしか成し得ないのか。「郵政民営化」という一つの言葉としてしまうところに、疑問を感じるわけです。確かに、何かを変革していく上では、根元からひっくり返すのが楽ではあります。しかし、それが実行された場合、一度破壊したインフラを再構築するのはものすごく大変です。民営化してみました、外資が株を買いました、預貯金は国外に流れ*1、不採算部門の過疎地の郵便局が無くなっていきました、では仕方がないわけです。民間に出来ることは民間に、というと聞こえはいいですが、そうして最低限必要なインフラが破壊されてしまうと、しわ寄せは国民を直撃するわけですから。

諸外国でも、郵政民営化に伴って、郵便局が大幅減少した郵便料金が上がると言ったことが起こっているそうです。ドイツの郵政民営化を見ると、経営的には大成功しているようですが、たとえば法的に100g以下の郵便物を独占させて保護していたり(日本で同様のことをしたら、宅配便業者は大幅な減収を被るでしょう)、郵便局自体は半減していたりと、諸手を挙げての成功といえるのかどうか。イギリスでも過疎地の郵便局が減少、存続補助のため民間企業に税金から補助を出すといったこともしたようです。有名な失敗例では、ニュージーランドがあり、民営化の結果、貯金部門は外資に売却された上、郵便局は大幅削減され社会問題化、国民の要求により改めて国営銀行が設置されるという経過を辿ったそうです。またアメリカでは、郵便貯金はだいぶ前に廃止されたようですが、郵便は未だ民営化されていません(確かに、あの広大なアメリカ全土に同一料金で郵便を送ることが出来るシステムを維持するためには、当然、民間では不可能でしょう)。

日米の間で交わされる「年次改革要望書」に郵政民営化が盛り込まれているという話もありました。つまりアメリカの圧力がかかっている、という話ですね。外資郵政民営化によって世界市場に出てくる日本マネーを狙っている、結果外資へのマネー流出がはじまる可能性もあるのでしょう(前述の「後日追記」にありますように、350兆円丸まるがその対象ではないわけですが)。

と、いくつか気になるポイントをまとめてみましたが、現時点では少なくとも、小泉政権がこうした不安を解消できるだけの政策を提示できているとは思えないのです。

この日記を書く過程で、自民党参議院議員小泉龍司議員のHPの記事を見つけたのですが、結構面白かったのでリンクを貼っておきたいと思います。先の参院における投票では、反対票に一票を投じている方で、大蔵省出身の2期目の若手議員のようです。私は、小泉議員の活動を詳しく知らないのですが、郵政民営化反対の主旨としては、とても良くまとまっていると思うので、あえて。反対を言うならば戦略上も対案が欲しいところではあるのですが…。難しいところではあるのでしょう。

特に郵政民営化に関する特別委員会が面白かったですね。小泉議員が竹中平蔵大臣らと論議をしているのですが、その総括部分で小泉議員は「マーケットをどうしてそこまでナイーブに信じてしまうんだろうか、そういう思いを多くの国民が持っていて、そしてそれが、我々この議論に反対するメンバーの底流にあるんですね。ここが総理と一番相入れない部分だと私は思っております。」と発言しています。少し冷めた言い方をすれば、確かに反対意見を述べるときは正論を言うのが比較的簡単だと思うのです。しかし、だとしても、この言葉をひとつの前提において、もう一度、小泉首相竹中大臣の発言を聞くと、だいぶ違って聞こえるのではないでしょうか。宗教的とすらもはや言えそうな小泉首相の振りかざす無数の「等号」を、位置をずらして見直すことで再検証すること。私は、有権者としてそういう作業がとても大事だと思っています。

それにしても、小泉首相の言う「民間に出来ることは民間に」という言葉と「官に出来ることが民間に出来ないというのは、民間に失礼だ(役人でなければできない、公務員でなければ公共的な大事なサービスは維持できない、それこそまさに官尊民卑の思想です)」という言葉を組み合わせると、単にすべては民間で出来ると言うことになります。私は、こういうのは危ういと思います。政治家であるにも関わらず、そこにはロジックが存在していないからです。

参考として、各党の郵政民営化についてまとめたページと衆議院解散時の表明(自民党は上記にリンクを貼ったので省略)を掲載しました。自民党のHPの紙芝居は必見だと思います。やればできる!というタイトル自体に、微妙なものを感じてしまうのですが…。

(参考)

*1:後日追記:といっても350兆円がまるまる吸い上げられるわけではないらしい。このあたり不見識だったのですけれど、預貯金等は後者に引き継がれてプールされ、そこから生まれた利益だけが新社に行くという形になるようです。ただ、潜在的に350兆の日本の郵貯簡保市場が開放されるという言い方は出来るのかもしれません。もちろん、それはものすごい長いスパンを考えての話ですけれど。350兆円の中に、相当部分国債が含まれていると言うことも大きなポイントでしょう。なお、この追記と共に以下数カ所訂正も加えています