成瀬巳喜男(8)/ Morton Feldman「For John Cage」

BGM : Morton Feldman「For John Cage

ジョン・ケージのために/モートン・フェルドマン

ジョン・ケージのために/モートン・フェルドマン

モートン・フェルドマンの「ジョン・ケージのために」を。秋で、雨です。

天気予報では、今日の夕方、雨が降るかもしれない、とのことでした。「かも」と言われると、「降るでしょう」とはだいぶ違って聞こえて、8:2で降らない心持ちになります。実際、映画館を出たときには雨は上がっていたのですけれど、地元の液を降りて、歩き始めてすぐに強めの雨が降り始め、降り込められてしまったのでした。

月のうち、35日は雨が降る。屋久島に落ちていった森雅之高峰秀子が、屋久島で耳にする言葉です。今日は「浮雲」を見てきたのでした*1

(成瀬については9/19/39/49/69/179/199/20の日記でも書いています。)

以下、致命的なネタばれです。

それにしても、「屋久島」はなんと遠いことか。森雅之と鹿児島まで落ちのびて来た高峰秀子は、たしか、遠いのね、一人じゃとても来られなかった、と言います。しかし、戦前にはフランス領インドシナベトナム)まで、高峰秀子は、女一人で行ったのではなかったのか。鹿児島は、屋久島は、つまりベトナムより遠いのか。彼らは船の旅を控えています。ベトナムまで一人で行った女が、屋久島をそれよりも遠いと口にしたとたん、その身体に震えがはしり、死の病が唐突に彼女を襲います。床に就き動けなくなった彼女は、それでも森雅之についていく意思固く、共に船で屋久島へと渡る。蛍の光がうら寂しく、岸を離れるフェリーに鳴り響きます。成瀬の映画です。船に乗って、海へと向かう。それはそのまま、死への旅立ちです。屋久島がベトナムよりも遠いのは、そこが死の地であったからでしょう。仏領インドシナは、帰還することが出来る距離にあったわけです。しかし、屋久島からは帰還できない。死を孕んだ距離なのです。

「花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき」と映画の最後に出るテロップを、昔この映画を見たときには、短命で去っていく高峰秀子のことを指すと思っていました。しかし、改めて見直してみると、実は違うのではないか、この映画は、最後、結局高峰秀子は昏睡状態のまま、まだ死ぬところまでは描かれず、有名な、森雅之が高峰の唇に紅をさし、名を呼びながら泣き崩れるラストシーンで終わるのですが、布団の横に倒れ込んでいる森雅之もまた、船に乗り、屋久島まで落ちてきた男です、彼もまた、その精神において、ここに死んでいるのではないか、と思い直しました。1人の肉体的な死だけではなく、精神における2人の死です。事実、この映画はその全体が、伊香保で心中を口にしながら、しかしそれを互いにごまかしてしまった男女の、引き延ばされた心中の道行きであったのです。

浮雲」は、どこか成瀬の映画らしからぬところがある、と前から思っていましたが、今日何となくつかめたように思えました。つまりは心中、2人の道行くということなのでしょう。言い換えると、この作品では成瀬の映画特有の、個々人の孤立、厳しい孤独が描かれていないのです。高峰秀子は、2度か3度、森雅之にこたつにはいるように勧めます。こたつはいたって小さく、布団の中では、すぐに2人の足はくっつき絡まってしまうでしょう。男と女の、この唐突で無防備な距離の近さ。いくつかある男女の入浴シーンを思い起こしてもそうです。狭い風呂で片寄せあうように入浴するその近さ。森雅之は、あの自虐的な雰囲気が奇妙な退廃となって女を惹き付けて、高峰秀子だけではなく、岡田茉莉子までも簡単に、その近くに引き寄せてしまうのですけれど、男が強引に詰め寄れば、女は何らかの抵抗を示す、それが成瀬の映画の常であったように思うのに(愛情のあるなしではなく、どうであれ拒む理由が二者の間にあった)、この映画ではすいとひとつにくっついてしまう。たとえば開けられているとはいえ、向こうとこちらを線引きする境界線のような障子や襖、縁側などを間にして、立つ個々人がそれぞれの相容れなさを残酷に浮かび上がらせるのが成瀬だったように思うのですが、この映画では高峰と森が宿屋の一室で話している、そこが元から狭い連れ込み宿でなかったとしても、2人はすぐにすいと接近し、隔たりをなくしていくのでした。しかし、だからこそ、別れるときは苛烈でもあります。高峰秀子がパンパンになろうが、そんなふうに生計を立てられる高峰をうらやむ無神経で、自分の弱さばかり押しつける森のエゴイズムは、映像としてはもっと極端に現れて、加東大介の目を盗んで岡田茉莉子と視線を交わしあう、狭いこたつで向き合うシーンを思い起こしてもいいのでしょう、そこでは高峰秀子はその近さでなお置き去りにされるのです。あるいは、来なければ死ぬと電報を打って、高峰が森を呼び出した宿屋では、したたかに酔った高峰が、一人で死んでやると乱暴に襖を開け、更に廊下へと通じる襖も開け放ち、立ち去っていくカットに繋げて、森雅之は、居室から窓辺の狭い板間に向かう障子を開け、追いかけようともせず座って待つカットが続くのです。そしてあっけなく部屋に高峰が戻ってくると、吸い寄せられるように同じ空間へと、森も戻っていく。簡単に近寄りながら、あえば傷つけあうように互いをなじり、しかし幾度でも吸い寄せ合いもする2人なのです。たとえ傷つけあうにしてもその近さが、成瀬としては異様なのです。

では、成瀬的な映画ではないのか、というと、やはり圧倒的に成瀬の映画であります。ただ男女が、個々人として孤立するのではなく、この映画では1セットで、まるで2つでひとつの命のようなのです。それは、この映画が、記憶をその構造のうちに深く抱え込んでいるからだと思います。彼らの輝ける、もはや戻り得ない、美しい日々は、南の植民地に確かにあったのです。彼らが孤立しているのは、ですから、社会からだけではなく、その2人の記憶からでもあります。そして、その記憶が2人のものであるしかないので、2人は、その孤立においても1セットにならざるを得なかったのではないかと思います。

しかし、記憶が忘れられない強い力を発揮しながらも、残酷なのは、その忘れがたさが彼らを規定しているにもかかわらず、彼ら自身が語るように、思い出すことも次第に減っていく、薄れていく、思い出すこと自体が今を惨めにしていく、というところではないでしょうか。そして、彼らは、本来なら地理的には近いはずの、しかしもはや後戻りきかない遠さの、屋久島へと落ちていくわけです。そこでは、ベトナムにもあったような、熱帯の植物も散見します。しかし、雨に降り込められた地では、それらは日の光の輝きにはほど遠く、なるほど、それは仏領インドシナよりも遠く、寂れ、痛んだ空間であったでしょう。彼らが輝いていた、何かを信じていた時代が、戦中で終わってしまっていたのなら、2人が厳しく孤立する屋久島は、死だけではなく時間の経過(戦中と戦後という断絶)も伴って、なお「遠かった」のではないかと思います。

時間と死を伴った、2人という孤立。その残酷さが、成瀬的ならぬ演出の成瀬映画として、「浮雲」を独特のものとしているのだと思うのでした。

それにしても…東京に引き上げてきた高峰の、あの微妙な表情、まなざし。恋しい男を前にしてしまったときの、どうしようもなくそちらに向かって行かざるを得ない傾斜。あるいは、それを受けて、どこまでも虚無的ながら、拒絶もしない、エゴイスティックな反語を繰り返して、突き放すことだけはしない森の残酷さ、陰惨な瞳も素晴らしいのです。2人で1セット。それが可能になるのは、この2人の卓越した演技(まなざし)によってのみです。

ところで、成瀬でこのように、2人で1組という映画を他に見たような気がしてきました。「お国と五平」です。霧、という孤立の道具が2人の周囲に立ちこめるこの映画を、私はもう一度、見直さなければいけないと思っています。

*1:ところで…森雅之が、だめ男のだめな発言をするシーンで、結構、観客の皆さんから笑い声が起こるのでした。そうかぁ、皆さん、あの森雅之を笑えるくらいには立派なのか、とちょっと思いました。これは揶揄ではなく、私は笑えないなぁと、ちょっと痛く思ったのです。