野良猫ロック マシン・アニマル / スウィート・スウィートバック / Oval

BGM : Oval「PRE/COMMERS」

オヴァルコマース

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久しぶりに、オヴァルを聴いています。マーカス・ポップの音世界における一種のサービス精神(という言葉が適切かどうか…しかし聴きやすさというと、それはそれで嘘であって、やはり実験性の中で、快感原則にふらふら揺れていきながら、しかしぐずぐずには鳴らずに留めるといった、うまさ、ああ、やっぱりそれはポップミュージシャン的と言うべきなのかもしれませんが、そういうセンス)が、私はけっこう好きです。

ユーロスペースで上映されていた、未ビデオ・DVD化の日活アクション映画上映のうち、藤田敏八監督の「新宿アウトロー ぶっとばせ」に続けて、長谷部安春監督の「野良猫ロック マシン・アニマル」(1970)も見ていたのでした(これもだいぶ前ですね)。藤竜也梶芽衣子が主演の、横浜を舞台にしたはみ出しものたちのアクション映画です。ベトナム脱走兵とともにスウェーデンに渡ろうとしている藤竜也と岡崎二朗が、500錠のLSDを売ってその資金にしようとしています。最初はLSDを奪おうとしていた梶ら横浜の不良少女たちも、その志(日本を抜け出して、外へ逃げていこうとする志)にうたれて協力を申し出ます。しかし、梶らのグループと良好な関係を築いていた、横浜でドラッグを仕切っている愚連隊の一味は、LSDを横取り、藤・梶らと敵対していく、という話です。

以下、メルヴィン・ヴァン・ピーブルズ「スウィート・スウィートバック」含め、ネタばれです。

LSDを奪い合う中盤までは、非常に面白いのですが、後半に失速していくのは、「結局日本を出られない」という若者たちの無残な認識に基づく物語の停滞が、映画の運動にも影響を及ぼしてしまうからです。その閉塞感の中では、ドスのきいた声で存在感を発揮していた愚連隊のボス、郷硏治も、簡単に無様な弱い卑怯者になってしまいます。彼は、以前・怪我をさせ、下半身を麻痺させてしまった女のために、ドラッグのビジネスに手を染めているのでした。黒幕である、車椅子の少女がこの映画の中心であることがわかってしまうあたりから、映画が停滞を開始するのは偶然ではないのです。どのような運動も、もたもたするばかりで、ただただ間に合わない。脱走兵はMPに足を撃ち抜かれて逮捕されてしまいます。二人だけでも国外逃亡を、と思った藤と岡崎が、しかし郷と梶が衝突すると聞いて助けに行き、結果岡崎も撃たれてしまいます。密航するはずだった船の汽笛を聞きながら、岡崎は日本を出られない気がしていたと言って死んでいきます。

逃亡しようとしている3人は、はなから何か当てがあるとか、強い目的意識を持っているわけではないのです。脱走兵一人が、本当に逃亡する理由を持っている。藤と岡崎は、ここではないどこかへ、という漠然とした気持ちしか持っていません。しかし、そうであっても自分の損得とはまったく関係なく協力を申し出る梶から見れば、「いける人間はいったほうがいい」のです。そこには彼女自身は「どこへもいけない」という諦観を前提に抱えていると言えそうです。ですから、この映画で、誰もが結局、脱出できないように、梶もこの世界に縛られているのです。そうした全般的な漠然とした脱出への思いと、あらかじめ誰も彼もを縛る閉塞感が、映画の運動としては、梶ら不良少女たちが乗る50ccバイクの運動に代表されているように思います。逃げる郷の中型バイクを、小型バイクの利点を生かして、パチンコ店や中華料理屋の店内や細い路地をいくつも潜り抜けて追跡していく。その、どこかまったりとしながらも、隙間を縫っていく運動は、決して、映画として鮮やかではないのでした。しかし、この世界に対し、無様であれ、抵抗を続けていく手段としての、そのゲリラ的な運動ではあります。その無様な抵抗の軌跡は、青春の逃亡の夢が、現実の傷を不可避に負ってしまった跡のように思えます。

逃亡、というキーワードで、やはり先日見たメルヴィン・ヴァン・ピーブルズの「スウィート・スウィートバック」を思い出しました。

黒人が汚い白人警官を殺し、黒人が白人女性とファックする、当時(1971年)としては衝撃的なこの映画は、ブラック・パンサーの奨励などもあったとのことですが、純粋に映画としての完成度はどうかというと、かなり首をひねるものです。ただ、それでもなお魅力的なのは、ある種の妄想、砂漠をさまようメルヴィン・ヴァン・ピーブルズに、宗教的な受難の図を簡単に見出しうる、または彼自身の男根に象徴される、一方的な妄想の肥大化ですね。当時1750万ドルの興収を記録し、インディペンデント映画としては大ヒットとなった作品でもあります。1971年というと、ブラック・パワー・ムービーの、メジャー映画会社による象徴的な作品「黒いジャガー」の製作年でもありますね。60年代の公民権運動が、68年のキング牧師暗殺を経て過激化していくなかで、必然的に生まれた、いわゆるブラック・パワー・ムービーの両極がこの2作なのでしょう。現実的には、「スウィート・スウィートバック」的なものは、「黒いジャガー」的なものに回収されながら、あっけなく権力に取り込まれていくのですけれど。

ただ、映画としてどうかはさておいても、怒りや抵抗が妄想となって高められ、呪術的にひたすらイメージを反復していく(アース・ウインド&ファイヤーの音楽を伴って)この映画は、なるほど伝説になりやすかったのだろうとは思うのです。一見の価値はあると思います。ただ、どうせ伝説として思い出すならば、私としてはエイブラハム・ポロンスキーの「夕陽に向って走れ」を推したいと思います。これぞ怒りが映画として昇華された傑作です。

夕陽に向って走れ [VHS]

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