フィリップ・ガレル / Oval「Ovalprocess」

BGM : Oval「Ovalprocess」

Ovalprocess

Ovalprocess

暗い午後です。やや弱っています。

 ※

「政治は関わった人間をダメにする」「映画もな」…確か、そんな台詞が冒頭近くにありました。「自由、夜」(1983年)を見てきました。多分これで4回目くらいなのです。本当は、「鰯雲」(成瀬巳喜男・まだ見ていない)を優先してみるべきだったのですけれど、「自由、夜」にいってしまったのは、精神状態の問題です。とか、こういう書き出しでは、ガレルを積極的に感傷の道具として見ようとしているようで、よろしくないのですが。

映画を見ていて、それが50年代末頃だとぱっとわかるには、私は歴史の知識が欠落しているのですけれど、フランスでアルジェリアの民族解放戦線の活動に身を投じたジャン(モーリス・ガレル、フィリップ・ガレルの父)は、他方でまだ愛は残っているがしかし一緒には暮らせなくなっている妻ムーシュ(エマニュエル・リヴァ、「二十四時間の情事」のヒロイン…この選択にも、ガレルの映画史的記憶が作用している)と別れ話を繰り返す映画の前半があります。別れるしかない、しかし思いが残っている二人の間の痛く、切実な時間が流れる。モノクロームの、ざらついた映像で、狭い空間に二人の人間がいて、互いに思い合いながら、同時にどうにもうまくいかない孤独が、手を握ろうと伸ばされたジャンの手が、カメラのポジションの変化で壁の影となり、狭いドア越しにジャンの姿だけが孤独に切り取られるショットで示されたりすると、その孤立が、まずはガレルであると思うのです。映画館の中で、泣きながら一人、針仕事を続けるムーシュのアップとロングのショットを組み合わせたシーンもありました。しかし、そうした切断的な孤独のショットがあるからこそ、二人でいる間の、互いに近づきながら交われないショット群が、痛く、素晴らしいのですけれど。

以下、ネタばれです。

そうした男女の時間が、唐突に切断されるのは、戦争によってです。実は、ジャン同様に解放戦線に身を投じていたムーシュは、フランスの極右組織に暗殺されてしまうのです。いっそう荒れた画面(まるでスクリーンに投射した映像をもう一度撮影したかのような…ちょっと判然としないのですが)が一瞬現れて、機関銃の音によって、愛は終わっていく。ジャンと友人たちは、犯人を追いかけるが、銃撃にあい追跡を断念、ジャンは何故殺されたのか調べるも、仲間からも秘密にされ釈然としたことはわからない。こうして「正義のために」はじめた運動のため、彼はムーシュを失い、子どもと残されるのでした。

銃撃にあう車の中に、まだ12歳のジャンとムーシュの娘が後部座席に座っていると、ぱっとわかるシーンの、一種の混乱が印象的でした。この映画では、愛の対象も自分が、戦争に、意味もなく隣接しているのです(悲劇の対象:たとえば殺されるというわけでもなく)。なるほど戦争とはそういうものでもあるのでしょうけれど、映画においてそれをこのように描く必要は、とかく見落とされているように思います。また、この映画は、1950年代末、つまりフランスの戦後の物語ながら、なお戦争と関わる人々の映画とも言えます。スペイン内戦にジャンが関わっていたという短い言及も映画の中にありましたが、「二十四時間の情事」よりも、アラン・レネでいうならイヴ・モンタン主演の「戦争は終わった」を思い出しますね。

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後半のヒロインとしてあらわれるアルジェリア人の女性(クリスチーヌ・ボワッソン)は、最初は金でジャンと関わりを持つのですけれど、ただ愛し合いたいと願い、ジャンもまた、彼女に強く惹かれ、二人はともにどこか田舎の海辺へと旅に出るのでした。このロケーションが素晴らしく美しいのですけれど、明確ではないが危機がある、そうした切実さから、痛いほどに相手を求める女の男の求め方、抱き付き方が、痛いのでした。朝、目をさますと彼の姿を見つけられずに、「ジャン!」と叫びながら(その声はとても切実に強く)、とはいえ実際には少し散歩に出ただけだろう彼のあとを、ハダシで、遊ぶように海岸線の岩場で花を摘んだりしながら追いかける、一連のシーン、そしてがけの上から、声をかけたジャンが、その上でまるで羽ばたき飛び出そうとするかのように、バランスを自ら崩してみせるシーンの、おどけた、しかし奇妙な緊張感、それらがすべて、男女の愛の、求め合う間にある危うさとしてあって、ジャンとムーシェの間では、別れるという方向に生まれたその緊張感が、後半では、求め合う男女の仲にも同様にあることが示されるのでした。

以下、致命的なネタばれです。

そして、それもやはり、戦争の銃弾によって切断されていくわけですけれど。ジャンを追いかけてきた2人の暗殺者は、映画のラスト、明け方の海岸線、スローモーションの荒れた映像の中で、彼を何発もの銃弾によって殺害します(ジャンの暗殺者が追いかけてきていることは、この最後のショットまで明かされないし、姿自体もここで唐突に現れます)。ゆっくりと倒れていくジャン。そのショットで唐突に終わる映画。愛も戦争も、世界にあり続けるものなのですし、だから映画は幾度でも作られるわけですけれど、同時に、こうした無数の、あっけない切断を、いくつも積み重ねたものだとも言えるのでした。

にしてもです。これは私の精神状態の問題ですが、痛いなぁ、美しいなぁ。見て良かった。