ミシェル・クレイフィ&エイアル・シヴァン / Teiji Furuhashi & Dumb Type 1985-1994

BGM : 古橋梯二 / ダムタイプ「1985-1994」

T10「LOVERS」を聴きたくなって、引っ張り出してきました。私は、あの古橋氏の作品を、確か青山のスパイラルで見たように記憶しています。ひどく痛かったのを覚えています。不可能な、たくさんの、おぼろげな、恋人たちの、閉鎖された、空間。

改めて聞き直してみると、「LOVERS」だけでなく、音楽としても聴けるアルバムになっていました。といっても、私は、古橋氏の死後、改変された形での「S/N」以後しかダムタイプは見ていませんから、完全な後追いで、「pH」なども、確かユーロスペースドキュメンタリー映画上映で見ただけですから、そんなことを言う資格はないのですが。

ミシェル・クレイフィとエイアル・シヴァンの両監督による270分のドキュメンタリー「ルート181 パレスチナイスラエルの旅の断章」(2003年)を日仏学院で見て、続けてミシェル・クレイフィ監督の「豊穣な記憶」(1980年)「マアルール村はその破壊を祝う」「石の賛美歌」の3作をアテネフランセで見ました。エイアル・シヴァンは、イスラエルによるアイヒマン裁判を追いかけた「スペシャリスト:自覚なき殺戮者」を以前見たことがありましたが、ミシェル・クレイフィの作品を見るのはこれが初めてでした。

ミシェル・クレイフィは1950年ナザレ(現イスラエル領)生まれのパレスチナ人、1970年にベルギーに移住、1980年「豊穣な記憶」で監督デビュー、初の劇映画「ガレリアの婚礼」(1987)がカンヌ国際映画祭で批評家賞を受賞し、一躍有名になりました。エイアル・シヴァンは1964年ハイファ(現イスラエル領)生まれのユダヤ人、82年レバノン戦争参戦を忌避して兵役を逃れ、85年フランスに渡り、パレスチナ難民キャンプを取材した「アクベット・ジャビール、通過の生」(1987年)で監督デビュー、前述の「スペシャリスト:自覚なき殺戮者」(1999年)は日本公開時に話題になり、関連書籍なども出版されました(NPO前夜HPより。「ルート181…」上映を行っています)。

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不服従を讃えて―「スペシャリスト」アイヒマンと現代

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ミシェル・クレイフィについては、名前だけ知っているという恥ずかしい状態を打破できたのは良かったのですが、それにしても、こうした作品群を見逃していたことの不明を普通に恥じてしまうのでした。「豊穣な記憶」(Al Dhakira al Khasba)を見て、ビクトル・エリセとの親近性を見出すのは、恐らくそれほど間違ってはいないはずです。それは、光線の印象という形で、また過去に起こった政治的な悲劇の傷跡を、沈黙も含めて浮き上がらせる(精神の内部に深くかかわっている傷跡として、出来事としてだけではない光の当て方をする)という形で、通じ合います。また、俳優としての演技であれ、ドキュメンタリーの取材であれ、その土地の光と、そこ(その土地)における人間の相貌との相関関係が非常に重要だったことも間違いないでしょう。またその二者の相関性に、さらに無数の映画の記憶(映画史)との関係性も重ね合わせてみます。例えば、フラハティの映画は確かに素晴らしく、そしてクレイフィ/エリセの映画に今も(といって「豊穣な記憶」は1980年の作品ですが)息づいている、といった言い方が出来るのです。

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とはいえ、エリセとクレイフィを、映画作家として同質に見てしまうのは、もちろん誤りです。むしろ、エリセがより映画の問題、時間の問題、記憶の問題をめぐるのに対して、クレイフィには、それは(それだけでは)難しい、という(パレスチナの)「現実」が、映画においてどのように戦われているか(それは「苦闘」といえそうな気がします)ということにも、目配せしないといけないのだと思います。クレイフィの映画を見て、パレスチナの現実を描くには、美しすぎる(映画として決まりすぎている)という言い方が、もしかしたらまず可能かもしれません。しかし、他方で、ではイスラエルパレスチナ人という対象が、なぜそこで選ばれたのか、その対象の微妙さ(なぜ、イスラエルを追いやられたパレスチナ人が対象ではないのか)という問いかけが残っていきます。民族の傷跡を、映画として決めながら、美しさを伴って普遍化していくといった単純なことがなされるのではありません。映画として決めていきながら(映画として成立させながら)、同時に、その構成的な思考が効果的な立脚点として、イスラエルパレスチナ人があったのではないか、と考えます。どこに発信していくかも大事な要素だったのだと思います。パレスチナ人に必要だったのは、「彼らの(見る)映画」を作ることではなく、更にそれを、世界に発信する(これは単に広く見られるという意味ではなくて、思考として)ことだったのだと思うのです。生きた思考とは、恐らく被害者の記号ではないのだと思います(そこにインティファーダ報道の欺瞞と難しさがあるのだと思います)。絶対に、それを受け止める側に、安心して消費することを許さない「生きた思考」とは、そこにただ問題=傷が提示されるだけではなく、その傷それ自体と向き合う態度、それをめぐる思考(戦い)や沈黙(結果としての)があり、それを通じて見る側も思考せざるを得ない状況(割り切れないものと割り切れなさ)を突きつけるものです。整理という名の縫合された傷ではなく、他方で、思考を伴わないただの傷そのものでもなく。それが映画=構成することの力ではないかと。

しかし、だからこそクレイフィは、苦闘するのかもしれません。「豊穣な記憶」は、イスラエル在住の2人、異なる世代のパレスチナ人女性、1948年に土地を奪われた記憶を持つ年配(50代以上?)の女性労働者と、30代の女流小説家のインタビューを通して作られる作品です。そこで示されるのは、パレスチナ問題、では無く、イスラエルで生きるパレスチナ人の人生です。しかし、目の前に、いまだ解決されない問題は明らかにあり、その状況は織り込まれながらも、その状況を生きる人々は、真摯に自分の生き方を生き、時に沈黙する、または問題としてあるものとは別の、個人的な問題こそを問題とする。そうした、問題系の取り上げ方は、とても誠実ですが、それを映画として決めていくことの難しさ(ともすればそれはただの作為/思考のコントロールになること)と、絶えず裏腹だと思うからです。描かれるべきものの難しさに対して、しかし暴力的な映画の才能で向かうのではない難しさです。ここでクレイフィは、フラハティを裏切るのかもしれません。

「石の賛美歌」(1990年)は、特に冒頭の男女のやり取りや設定それ自体から、明らかに「二十四時間の情事」のアラン・レネに深く負っていると言えます。イスラエルに住むパレスチナ人や、ガザ地区などを取材する映像とあわせて、15年ぶりにパレスチナに戻ってきたアメリカに亡命した女性と、イスラエルに取り残された男性との、再燃する恋愛をめぐるフィクションの融合という作品です。しかしきれいに融合せず亀裂を抱える、しかもその亀裂が積極的に仕組まれることにおいて、「二十四時間の情事」との差異が埋め込まれているといえるでしょう。私は、ここに「石の賛美歌」のポイントがあると感じます。

二十四時間の情事 [DVD]

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二十四時間の情事」では、ヒロシマと戦渦に包まれ多数の死者を出したフランスのヌーベルが、記憶の中で、男女の交わりも重ねられつつ、不可能な結びつきをかろうじて交わしていきます。そこには、現在から過去の出来事を思い起こすという距離も存在していました。戦後10年以上たった、復興した広島の市街、夜の中で(つまり表面上、記憶は明確な痕跡をとどめないなかで…アウシュビッツの「現在」の表面から、記憶へとアプローチしていく「夜と霧」も思い起こされますが)、男女の会話を通して辿られます。その距離感は、もしかしたら、パレスチナ自治区イスラエルの境界線に対する、イスラエルに住むパレスチナ人がとる距離と近しいかもしれません。だからこそ、戦争は、出来事だけではなく内的な傷としても構成/思考しうるのではないか。

しかし、他方で、パレスチナは、現在進行形の問題でもあるわけです。そのために「石の賛美歌」では、パレスチナ問題が十数年ぶりに出会った男女の会話における思考=フィクションは、それが記憶としての側面もありながら同時に、現在、同時進行でなされた取材と、直接的に接続されてしまわざるを得ない。その乱暴さが、必要だったのではないか。具体的には、フィクション上はアメリカから戻ってきた女性が取材しているはずなのに、実際のインタビューシーンで質問を投げるのは、クレイフィ自身の声である、その演出の亀裂に、この映画があるといえるでしょう。パレスチナ問題との距離の困難、線引きの困難が、クレイフィの困難だ、といいたいわけです。

1985年の30分の短編、「マアルール村はその破壊を祝う」は、やや退色した《失われた村の景色》(それは豊な農地であり村だった)の映像と、自らの土地を奪われて、年に一度、イスラエル建国記念日にのみ帰還を許されたパレスチナ人たちが、いまや公園となった村で、その記憶をたどりながら祝宴を持つという作品です。それは、パレスチナの地が不毛な砂漠であり、イスラエルがそれを豊かな農地とした、というプロパガンダの嘘を暴くものであり、また、今日この映画を見るときには、2005年現在、イスラエルが建造を続けている民族分離の「壁」が、現在の境界線を更に割り込んでパレスチナ側に食い込みながら、実はパレスチナの豊饒な土地と水源を、更に奪おうとしている現実とも呼応しているといえます。おそらくクレイフィの映画は、パレスチナ問題(つまり線引きの問題)が進行形であり続ける限り、「記憶」をめぐることによって絶えず、その時々の相貌でアクチュアリティを獲得するのでしょうけれど…。

ただ、そこにおいて見逃せないのは、パレスチナの元村民が、その土地に対して抱く距離と、私たちパレスチナの外部の人間が、この映画を見てその土地に対して抱く距離の差異/軋轢なのだと思います。略奪された土地について、パレスチナ人たちが抱える距離は、彼らと土地との不可能な距離だとまず言えます。これと同時に、(パレスチナ人で無い)私たちは、今や公園になったその場所に、パレスチナ人が帰還できないままいることも見るわけです。もはや土地を耕すことの無い(その技術の失われつつある)、奪われたままいまも与えられていない人々の存在。それは、いま、そうした迫害に無い人間から見れば、やはり距離を帯びた存在なのです。無邪気に、ただ土地を返してあげるべきだといったところで仕方がない。実行力がないからです。立場の決定的な差異を、パレスチナ人以外の、いま迫害に会っていない人々は、そこに見るわけです。そして、手の尽くしようの無い暴力は、その時点でも続いているわけです(映画の最後、それは戦場の映像として示されます)。

その2つの距離を、私たちは、この映画の2種類の映像(過去の記録と、現在の記録)の接続において同時的に見るわけです。「石の賛美歌」においては、取材部分よりもフィクション部分のほうが、より構図的にも光線的にも、映画的に「狙い済まされて」いました。「マアルール村は…」は、過去の映像の、質的な古さとその古さが逆に強く感じさせる喪失された美しさが、現在の映像と並べられるところに機能があるのでしょう。そうした映像の質的な差異を、クレイフィは機能として取り入れています。

そうした二つの、別種のものの接続は、「石の賛美歌」の男女の接続(会話・愛し合うこと:アメリカに亡命した女とパレスチナに留まった男の)でもあり、「豊穣なる記憶」の2世代の女性の問題でもあり、そして根っこには、パレスチナ人とユダヤ人、という2つの民族が同じ場所にいることにも通じていく(しかし、それをあえて、その2者の対峙からではなく描くのが、クレイフィの距離の取り方なのですけれど)、だとしたら、その必然の中で、「ルート181 パレスチナイスラエルの旅の断章」におけるイスラエルユダヤ人監督との共同監督というスタンスが、帰納法的に導き出されるのではないかと思います。

この作品もまた、境界の手前の映像です。パレスチナ自治区に深く分け入っていくのではなく、イスラエル側のユダヤ人や、イスラエルに残ったパレスチナ人の証言を捉えていきます。ルート181とは、「前夜」HPによると、「1947年11月29日の国連決議181号でパレスチナの地を二分した分割線」だそうです。しかし、イスラエル軍中東戦争に勝利し、大幅にそのラインを越えてパレスチナの地を時刻の支配下としました。従って、そのラインは、一度も実際の境界だったことは無いのですが、しかし他方で、世界的に2つの民族を同じ土地の共存ではなく分割によって存在させようとした、理念上の「境界」だと言えます。

ところで、この映画のタイトルと、手法は、ロバート・クレーマーの「ルート1」に深く負っていると思われます。クレイフィとシヴァンの2監督が、この有名なドキュメンタリー映画を知らなかったとは、思いがたいですし。ただ、やはりここで重要になってくるのは、実在の壁の問題です。ルート181に並行して走る、パレスチナイスラエルを隔てる壁(それは、アパルトヘイトを意味し、土地どころか生存権の剥奪までも意味しそうなのですが)が建築中であり、また国際法上、人道的に配されている、触れるとひどく人とを傷つける鉄条網が、猛スピードで生産され、かつ実際に、境界線上に張り巡らされてもいるのです。それが、精神的・理念的にパレスチナ人を排斥する(一見して知識階級に属する、リベラル派ですら、ユダヤ人としてのショアーの記憶を口にしながら、同時にパレスチナ人と一緒には住めないと思っている)その、理念としての「境界線」が、すぐ脇で具現化しているのです。この映像の、厄介さ。現在進行で、問題が起こっており、それが止まっていない(止められない)ということ。「ルート1」が、自問自答の中でアメリカの精神を横断する映画だったのに対して、「ルート181…」は、同様に精神なり理念なりを横断しながら、その精神のあまりに安易な/暴力的な具現化(具体的な壁や鉄条網)も映ってしまうことで、絶えず厄介さに突き当たる、そういう映画なのです。

こう書くと「ルート1」が、安逸な作品のように聞こえるでしょうか?もちろん、そんなことはありません。むしろ、「ルート1」は、カメラがナイーブに内面の声になることをを忌避するために、むしろ積極的に内部分裂をして見せ、そして機械的とも言える唐突さで終わっても見せるのです。そこにクレーマーの「アメリカ」が非常にスリリングに現れていきます。ただクレイフィの、思考を孕みながら、同時に、その努力が無駄になってしまっている現実と、絶えず、進行形で格闘する必要がある、その危うさとは別種のものだと言えるだけです。

映画(史)の記憶、という点では「ショアー」と「ルート181」における相似的シーンも挙げておかないといけないですね。ただし、ここは相当に作為的だと感じるのですが。「ショアー」と「ルート181」にそれぞれにおける床屋の亭主の語りです。「ショアー」では、強制収容所で死んだ家族のことを床屋の亭主は語り、「ルート181」では、家族を失ったパレスチナ人がその記憶を語るのです。この床屋のシーンは、光線から、屋内の色彩から、とてもよく似ています。そういえば、パレスチナのある土地は、「ゲットー」と呼ばれた閉鎖区域になっていたのだそうです。ユダヤ人は、自分たちが蒙った悲劇を、他者に転化してしまったのかもしれません。もちろん、そんな権利はどこにも無かったはずなのに。つまり、単に同じなのです。ナチスユダヤ人にしたことと、ユダヤ人がパレスチナにしていることは。これは怖いくらい明快です。しかし、それはなかなか、世界に知られていかない。このことについては、ゴダールの「アワーミュージック」を見るべきなのでしょう。「アワーミュージック」は、とても「教育的」な映画だと思うのです

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