コープスブライド / サニーデイ・サービス「LOVE ALBUM」

BGM : サニーデイ・サービス「LOVE ALBUM」

カラオケ用第…何弾かは忘れましたが。T2「夜のメロディ」T3「胸いっぱい」が好きですね。特に「胸いっぱい」の歌詞、黒にピンクの花模様の服を着た女の子のイメージが、印象深く。何の脈絡もなく、このイメージだけが歌詞の中にぽんと提示されるのです。サニーデイ・サービスは、これとあと1枚しか手元にはなかったはず。後期の方が、フィットするようではあります。

LOVE ALBUM

LOVE ALBUM

ティム・バートン監督の「コープスブライド」を見てきました。「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」好きな人御用達の、不気味キュートなパペット・アニメーションです。

ナイトメアー・ビフォア・クリスマス コレクターズ・エディション [DVD]

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地位は無いが金はある成金魚屋の息子と、金はないが地位はある貴族の娘…親同士の政略結婚…のはずだったのですが、結婚の前日、予行練習の場で顔をあわせてみると、ピアノなんかも弾けてしまう心優しいビクター(声:ジョニー・デップ)と、美人ではないけれどもやはり気立てのいいビクトリア(声:エミリー・ワトソン)は、互いに惹かれあい、ほのかなロマンスが始まるのです。しかし、そんなこととは関係なく、政略結婚のぎすぎすした予行練習は始まるのですが、緊張で上手く結婚の誓いを口に出来ないビクターのため、結婚は延期に。自己嫌悪のビクターは、森の墓地で誓いの言葉を繰り返しているうちに、つい正しい誓いの言葉で、コープスブライド(死体の花嫁)に求婚してしまうのです。よみがえった花嫁は、その求婚を受けて、彼を黄泉の国へ連れ去ってしまうのでした。この声優をしているのが、へレナ=ボナム・カーター。声優陣で、あと注目は、意地悪い権威主義の牧師をやっているクリストファー・リーですね。

あ、忘れないうちにひとこと。骨犬、めちゃくちゃかわいいです。

以下、かなり致命的なネタばれです。

ティム・バートンらしいのは、死者の世界こそが、不気味だけど、明るく愉しいことです。活気のある音楽が鳴り響いて、骨たちがダンスを踊り、ジャズを鳴らす。公式HPで読めるプロダクション・ノートに、スタッフのそのあたりの意気込みがありました。恐らく、それは単なる趣味規範ではなくて、「チャーリーとチョコレート工場」の時にも書きましたけれど、どこに映画を生き延びさせていくか、ということなのだと、私は思っています

というのも、結局コープスブライドは、身を引いていくわけですけれど、身を引いて蝶となって天に昇っていく彼女は、あの愉しい地下の世界に戻るわけではないわけです。つまり、この映画は、生者の世界と死者の世界で出来ているのではありません。生者も死者も、どちらも消滅(映画の終わり?)に対して等しく、つまりはどちらも、映画において生者であり、生き生きと生きているほう(死者の世界)と、死んだように生きているほう(生者の世界)に別れている、というだけなのです。そして、不気味な歪んだ、肋骨が除き、頭蓋骨に青虫のすむ美しき死体の花嫁など、死のモチーフがいっぱい詰まった、大人たちが権力で表面を覆い隠した場所にこそ、大きな逆転の可能性があるのです。だとしたら、使者たちが地上に溢れかえるクライマックスは、そしてそこにおける生者との再会と和解は、つまりは革命です(そして死=可能性を敬わない現世の利益を追求するものは罰っせられる)。

と、これは単純化しすぎなのを承知で言っているのですけれどね。ただ、ティム・バートンのイメージする映画、豊かさが、どこに生き延びているのか、どこでティム・バートンは、映画を生き延びさせようとしているのか、ということなのです。そんなことを考えながら、彼のフィルモグラフィーを見つめていきたいと、私は思っているわけです。

ビクターとコープスブライドが、ピアノを連弾するシーンが印象的でした。ビクターとビクトリアの出会い(恋の始まり)もピアノです。ビクターは、ビクトリアが別人と結婚すると聞いて、しかし対して落胆もせずに、自らの意志でコープスブライドとの婚礼を望みます(自らの死も省みず)。ところで彼が地上で挙式を行いたいといった理由は定かではありません(映画のなかでは説明されない)。仮定すれば、それは、二つの世界をひとつにする欲望なのだと思います。彼は、二人の女性を、同時に愛していたというべきなのだと思いますね。多情というのではなく、もう純粋に。そして、繋ぎ合わされた二つの世界に、可能性としての豊かさが(革命が)あるのではないか、と。うーん。ちょっと論理の都合に引き寄せすぎかな?(笑)