ランド・オブ・プレンティ / THE BAND

BGM : THE BAND「THE BAND」

The Band

The Band

精神の健康のために、時々聞かなければいけないアルバムのひとつです。ザ・バンドが、一定の距離を置きながら「再現」するアメリカの音楽。自動的にそれは、旅人の・異邦人の歌となる。はずれないアルバムです。単に好きな曲をあげると、T1「Across The Great Divide」T4「When You Awake」T5「Up On Cripple Creek」T11「The Unfaithful Servant」など名曲揃いのこのアルバムですが、個人的にはT3「The Night They Drove Old Dixie Down」とT6「Whispering Pines」の2曲かなぁ。痛さがね。T10「Jawbone」の異様な始まり方も素晴らしいし…。このアルバムと白い飯だけで、何杯でもいけるって感じです。

ヴィム・ヴェンダースの新作「ランド・オブ・プレンティ」を見ました。西部劇でした。ただし、これまで一度も作られず、そして作られるはずもなかった西部劇。あるはずのない西部劇。しかし、だからこそ、911以後、西部劇を継承する試みでもあるといえます。

どの辺が西部劇かというと、自由と正義のために排除しなければならない敵を持つ、頑固で一徹なジョン・ディールの存在、西部の荒野ではないにしてもアメリカの内部で消息をたった叔父を捜索する姪(ミシェル・ウィリアムズ)という設定(叔父が姪を探す反転として)、そして、映画の終盤舞台となる、ロサンゼルスを車で数時間行った先にある、砂漠の街中の静かな町。そこで悪の組織(?)と立ち向かうこと。

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インディアン/ネイティブ・アメリカンが、敵で良かった時代の西部劇の風景が湛ええた美しさを、そのまま「ランド・オブ・プレンティ」に移植することは、もちろん出来ないわけです。むしろ、「敵」と目されるアラブ人の男の死体を、駅馬車ならぬバンに載せて、その兄の元へと届ける旅でなければならなかった。それを、停滞と呼ぶのは簡単です。しかし、荒野の風景の中、緑色のジャージの上下を来て、ゴルフのスイングを練習しながら歩いて来るアラブ人の兄は、それが正しくアメリカの風景でありながら、同時に、西部(劇)の中にもいるという奇妙さ、ちぐはぐさを、生きている。その、映画史的な記憶と現在のめまいがするような風景のなかで、ヴェンダースが恐ろしく誠実になそうとしているアメリカ映画のサバイバルは、私には胸打つものに思えます。

ジョン・ディールが、テロ組織のアジトだと思い込んで踏み込んだ家屋では、敬虔なキリスト教徒らしく様々なキリストの絵図を飾った部屋に眠る老婆を見つけただけです。彼はベトナム戦争での枯葉剤の後遺症で、軽度の障害を抱えており、それがパラノイア的なアメリカの敵への憎しみを強めているようです。そこでアメリカのベトナム戦争以後が、映画に重ねられていきます。ハイテクのパロディのような、ディールがバンに搭載した様々な機材(路上を監視するためのカメラやその録画装置など)は、「エンド・オブ・バイオレンス」における、エシュロンNSA(国家安全保障局)のイメージが、人間一人一人の精神と如何に呼応するか、という具現化でもあるように思います。

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しかし、他方で、iPodからはボノやレナード・コーエンの音楽が流れてくるだろうし、チャットでは、イスラエルで壁の建設に反対する人間と、ロサンゼルスは、簡単につながることも出来ます。もちろん、それは、天使のようなミシェル・ウィリアムズの存在も含めて、いささかスウィートな、またナイーヴな可能性の提示かもしれません。しかし、他方で、その気になれば私たちは、海外のサイトからも情報は集められるし、実際に無数の音楽をiTuneひとつで手に入れることができるわけです。だとしたら、それもまた、実際に目の前にある可能性です。問題は、なぜ目の前にあるのに、それがスウィートに感じるか、です。

インディアン/ネイティブ・アメリカンの死体など、どこかにあっけなく消失させていた西部劇が、唐突に、それが消し去れないものだと気づいてしまう。ロサンゼルスが、巨大な貧困都市だと気づいてしまう。アメリカ人こそが世界に暴力を振るっている可能性に気づいてしまう。それらを、アメリカとして見てしまう。それから、どうやってアメリカ映画は続いていけるのか。天使は、心が清らかで美しい、しかし現実の痛みを悲しみ、また強く正しいことを志向する、そんな少女の存在は、映画である以上、あっていい。しかし、もはやどこまでも収まりが悪くしか、天使はそこに存在できないのかもしれません。ジョン・ウェインが救い出した少女は、もうこの世界に似つかわしくない。それは、世界の側の問題であって、彼女の問題ではないのです。あるいは、叔父への恩返しのために、彼女はアメリカ(故郷)を目指したのかもしれません。彼女は、映画のヒロインです。そして、アメリカへと帰ったのです。

この映画は、トニー・スコットの「ドミノ」と並べて見られるべきかもしれません。

 ※

ところで。人口の1%がアメリカ国内の富の40%を有しているといわれるアメリカは、2005年発表のOECD(経済開発協力機構)資料によると、国民平均所得の50%以下の収入しかない貧困層が17%を越える、先進国中もっとも貧困層が多い国なのです(元資料は1999〜2002年の各国資料)。なお、日本は15.3%を越えて、先進国中では3位となっています。OECD加盟の先進国をざっと見てみると、イタリア12.9%、イギリス11.4%、カナダ10.3%、ドイツ8.9%、フランス7.0%、オランダ6.0%、スウェーデン5.3%、デンマーク4.3%。更に、日本は、急激に貧困層が増えているという報告もあり、一億総中流というイメージが、実はもはや嘘でしかないことが明らかになってきています。世帯ごとの貯蓄額をみると明らかに、平均貯蓄額は右肩上がりで増えてきているにもかかわらず、一方では貯蓄なしの世帯も大幅にアップして23.8%にもなっているという報道が先日なされました。いわゆる所得平均ではなく、中央値でみると、年収は昨年度より20万も落ちているといわれています(今年の年収の中央値458万)。