デザンシャンテ / FISHMANS

BGM : FISHMANS「Oh! Mountain」

Oh!Mountain

Oh!Mountain

ライブ盤なのに、まったくライブ盤らしくない、でもライブ盤らしく演奏者の紹介があったり、でもそれが名前の途中で切られたり(笑)、という名盤です。考えてみると、フィッシュマンズのちょうど変革期に、その後の可能性と、それまでの集大成の中間的な位置づけとして出されたライブ盤と言えそうで、このあと、あの名盤「空中キャンプ」が出るのでした。

全曲、非常にポテンシャルが高いけれども中でも好きなのはT13「チャンス!」。こっちを聴いてから、アルバム盤が聴けなくなったくらい。あとT11「頼りない天使」やらT8「感謝(驚)」やらT14「いかれたBaby」やら、うーん、充実。

ブノワ・ジャコの映画は、ヴィルジニー・ルドワイヤン主演の「シングル・ガール」しか見ておらす、なかなか不勉強な感じなのですが、それでも「シングル・ガール」は好きでした。ヴィルジニーの、あの歩き方(かつかつと、小さい体をいっぱいに使って歩く、ただ歩く)に打たれた、というか。だから「デザンシャンテ」の上映が久しぶりにあると聞いて、これは見逃せないなぁと思っていたのです(なお、東京日仏学院で開催していたドミニク・オーヴレイの特集上映の1作でした)。

シングル・ガール [DVD]

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主人公ベット(ジュディット・ゴドレーシュ)は17歳の少女。学校ではランボーを論じる聡明な少女ではありますが(このシーン、体を揺らしながら黒板にランボーの言葉を書きとめる仕草が素晴らしいのですが)、家は貧しく、伯父さん(といっても、恐らくは母親の「客」)からのお金だけが頼りであり、しかし体を壊し寝たきりに近い母親は、その「伯父」からの金を得ることも出来ないでいたのでした。

以下、ネタばれです。

(このあたりの人間関係は、あまり詳細には語られないのです。「伯父」が金を払うのは、もしかしたらベットの弟が実子だからかもしれません。)ベットに欲望を感じている伯父は、彼女に金の力でお言うことをきかせようとしているのですけれど、彼女は彼の問いかけには無言でしか答えない、しかしそれでも家計は差し迫っていて、母親からも彼の家から小切手を取って来るようお願いをされてしまうほどなのでした。恋人のところに泊まっても、彼の嫉妬深さと酷薄さが入り混じった態度に反発を感じ、暴力を振るわれているところを助けてくれた中年男性には魅力を感じるのですが、しかし彼のところに泊まっても一晩何事も無く過ごし、ただ彼からナイフだけをもらって帰っていく。そのナイフは、結局は使われずじまいなのですが、しかし少女の手足が、ベッドにうつぶせた肩甲骨から首にかけてのラインが、素晴らしく動物として美しく動くように、一瞬だけ現れる彼女の全裸が素晴らしい緊張感をたたえるように、ナイフもまた、その体の一部にふさわしかったのかもしれない、と思います。牙であり、つめであるだろうと。ただ、人間社会で生きていく中で、それをやすやすとは使えないだけです。

と、実際の映画の時系列とは異なる書き方をしてしまったのですが、それは物語の印象よりも、その時々の、少女の身体の緊張感に、絶えずうたれながら見ていたせいです。唇を指で軽く押さえて立つ少女の、小柄なのに「強い」存在としての自負はなんなのか。もちろん、実際には金のために身を差し出さなければいけないのです。しかし、としても、何かそれで損なわれるのか。結局、彼女は中年男性への帰属も避け、街中に走り出すわけですから。

彼氏とけんかして流した涙を見た弟が、道で拾ったビー玉を、涙の結晶だといって姉に差し出す、そのビー玉が、伯父の家でポケットから零れ落ちたとたん、次のカットで全裸となって伯父の前に現れ、とたん失神する、その少女の危うさと、動物…というよりも少女としての強さの同居。それを、これほど鮮やかに描ける(といって、それはドキュメントでもないわけです。やはり構成、意志がそこにはある。むしろそこに映画がある)監督の作品は、ちゃんと追いかけるべきですね。「シングル・ガール」でも感じたことです。ブノワ・ジャコは、でも見逃している作品ばかりなのでした。日本公開された作品だけピックアップしても、「トスカ」も見逃してますし、「イザベル・アジャーニの惑い」も、「発禁本」も見逃しています。これは、良くないなぁ、自分。

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