FILMeX / サウンド・バリア

第6回東京FILMeXがスタートしています。まあ、このブログをわざわざ見つけて読んでくださるような皆様には、言わずもがなのこととは思いますが、この映画祭は、とてもとてもレベルが高い。日本とアジアの映画作家を中心に、作家主義を貫いて作品を紹介し続ける、映画祭のプログラム自体が、映画批評として成立する、世界的にも希有な映画祭です。こうした映画祭を成立させることができる映画祭ディレクターが、日本人にいることを、市山尚三氏と林加奈子氏の存在に、私たちは素直に感謝すべきだと思います。

今日までのところで見たのは、ソン・イルゴン監督「マジシャンズ」、リティ・パニュ監督「焼けた劇場の芸術家たち」、フレッド・ケレマン監督「落ちる人」、イン・リャン監督「あひるを背負った少年」、カン・イグァン監督「サグァ」、アミール・ナデリ監督「サウンド・バリア」、スイス映画特集よりジャック・フェデー監督「雪崩」、中川信夫特集より「人形佐七捕物帖 妖艶六死美人」「毒婦高橋お伝」「妖艶毒婦伝 人斬りお勝」を見たのでした。いやー、充実です。未知の監督も既知の監督も含めて、はずれのない作品群。もちろん、この中での差はあるけれどね。

中川信夫のとんでもない面白さについては、また改めて書くとして、それ以外の作品について、備忘録としてもいろいろ書きますね。まず、これは!というところからいくと、アミール・ナデリの「サウンド・バリア」。これはすごいです。聾唖の少年が、死んだDJの母親の声が残ったカセットテープを見つけるため、母親のファンだった男が貸倉庫に預けたカセットテープの山の中から、一晩掛けてテープを見つけ出す、しかし、ごく弱い聴力しかない彼には聞き取ることは出来ないので、そのテープとデッキを手に、トラックが無数に走る橋の上で道行く男を呼び止め、テープを聞きながら内容を話して貰い、唇を読んで母親の言葉を聞こうとする、という話です。このテープを探すシーンがすごい。箱に入った、無数のカセットテープを引っ張り出しては床にぶちまけつつ、自分の母親の番組を収録したテープを探し続ける。何度も何度も、スカの箱を開けるわけです。それでも諦めず、癇性の少年は、より破壊的になりながら、次々に箱を開けていく。聾唖者ですから声はありません。荒い息づかいだけ。人気無い貸倉庫の中なので、聞かれる心配がないのだと言っても、かなり大きな音を立てながら、捜索と言うよりも破壊に近い作業を繰り返していきます。その繰り返しは、激しい音と細かいカット割り、単調な反復のも含めて、独特のリズムと音響を作ります。その目的を達するための、スカばかり続く時間の継続が、なおも探し続ける少年の思いの強さ(とその傷の深さ)を示しているとも言えます。

そして、やっと母親の番組が入ったテープを数個見つける。指先でテープをなでる少年。聞こえない音を聞かなければならない少年にとって、指先は、不可能なものを察知するための(しかし聞こえないことに変わりない)手段であるかのようで、やっと手に入れた目的のテープ(その回は番組の最終回で、息子のことが語られていているので、少年は聞きたがっていた)のなかでも、少年が父親の死のショックで心因性の聾唖になったあと、母親のラジオを「聞く」ために、スピーカーの振動に手を当てて、聞こえない音を聞いていたエピソードが、今は無き母親の声で語られるのでした。この母親のテープを聞くシーンも、ばんばんと走り続けるトラックの音がすさまじく、その騒音の中で、聞き取りづらい音を聞きながら、少年に唇を読ませてあげる男は車を気にしてスピーカーから耳を話してしまうのだけど、聾唖の少年はそうした男の反応が苛立たしく、こっちを向いて唇を読ませろ、と、一応は紙に「PLEASE!」とは書いているけれど、お願いにしにては押しつけがましい激しさで求め続ける、その激しい反復も、テープ探しのシーン同様、長く長く続くほど、少年の思いの強さとなって現れるのでした。

それから、テープが途中で途切れている(録音したファンは、あまりの内容のつらさに、途中から音を消してしまった)ことを知った少年が、盗み出したテープをすべて道路に投げつけて破壊したあとで、砕けたカセットテープからはみ出た磁気テープを激しいトラックの往来の真ん中で拾い集める、テープは、砕けて、地を這い、空を舞う、そのアクションの連なりも、豊かな激しさを帯びて素晴らしいのですが、耳で聞くのではなく、手で磁気テープをつかむことが、少年には、耳で聞く不可能の代替行為だったのだと思うのでした。

思うに、こうした映画は、そうした時間を見ているのです。しかし変化のためには(聾唖の少年が、不意に聴覚を取り戻すためには)、そうした苛烈な時間がなければいけない、ということなのでしょう。

時間、という問題ではフレッド・ケレマンの「落ちる人」も非常に重要なのですが、今日はこの辺にしておきます。