セックスと哲学

モフセン・マフマルバフという映画監督は、とても奇妙な監督で、過去に見たことがある作品を思い返しても、自意識と美意識と政治の狭間で、おかしなことになってしまったこと、それ自体と取り組むような混乱が見いだせるように思うのでした。アッバス・キアロスタミが、どこまでも理知の人であるのに対して、マフマルバフは、やはり野生を感じさせる、というと、いささか整理の仕方としてはうさんくさいですけれど。

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(「パンと植木鉢」「サイクリスト」が好きですねー。)

「セックスと哲学」はタジキスタンを舞台に、タジキスタン語とロシア語によって語られる恋愛映画です。40歳の誕生日を迎えたダンス講師のジョンが、4人の恋人(3人はダンス教室の生徒であり、1人は講師仲間でもある)を、ダンス教室に一度に集めます。そして4人が、全員同時に彼の恋人であったと知ったところで、ダンスをしながら、それぞれの恋愛について4人と順繰りに話し、自身の恋愛を精算しようとする話です。ストップウオッチを手に、自分が幸福を感じた時間を計るというジョンは、自分の人生で幸福を感じた時間は24時間にもならない、1日で死んでしまう蝶の一生にも負けている、と言います。

女性たちのコート、ダンス教室の壁面、ダンス・コスチューム、バラの花、黄色い枯葉…鮮やかな色に満ちた映画です。恋愛はマフマルバフにとって色覚なのかもしれません。しかし、他方で、ろうそく、揺らめいて解けて消えていく炎も、重要なモチーフとして、冒頭から繰り返し現れます。ある意味、そのイメージの対比だけの映画といえるかもしれません。それ以外は…男性の恋愛に対する妄執が、エゴイスティックに繰り広げられる、と言えそうです。ただ、それはおそらく自覚的で、むしろ「愛は成立しない」というテーゼに向かっていく、言い換えると孤独になるための妄執、ということでしょうか。たとえば、恋人の体も求めるジョンは、愛する人と肉体的に愛し合うのが幸福だ、と言い、最初の恋人(フライト・アテンダント)には、キスもさせてもらえなかった、君との幸福な時間は2時間と○○分しかなかったと言うのでした。そんな男性が恋愛を云々言う時点で、何か違うのかも、ということです(笑)。しかし、それでも熱心に恋愛を求めてもいて、それらはすべて「孤独」という言葉にもう一度帰って行くのかもしれません。むなしさの自覚*1を、これほどまでに彩ることができる。それは映画監督の特権なのか。

女性陣では、青いコートをまとい、ジョンがわかしたミルク風呂に入って、新聞にくるまって体を拭いて貰う女医が印象的でしたね。美しくて!

*1:どれくらい自覚的かというと、4人目の恋人のエピソードで、その恋人に招かれたパーティで彼女も4股をかけていたことがわかるのです。その皮肉な対比それ自体よりも、その出来事を自分の孤独の問題として受け流してしまう態度において、自覚的なのです。