ダグラス・サーク / スイス映画 / rosal

BGM : rosal「エデゥカシオン・センティメンタル」

11/28のブログで書いた大洋レコードシリーズ第3弾。アルゼンチンのガールズポップ音響バンド。かわいいし、おしゃれです。世界中にこうした音楽があるということの発見(共鳴)の喜び。こういう音楽は日本にもあるし、わざわざアルゼンチンのミュージシャンを聴かなくても、というのは、私には後ろ向きに思えます。むしろ、日本のミュージシャンを聴く量を抑えてでも、海外にこういうミュージシャンがいると言うことに時々目を向けることの刺激は、けっこう大きいと思うのです。

今年のFILMeXの特集上映の一つに「映画大国スイス1920'sー1940's」というのがありまして、私はその中の4作品を見たのでした。列挙すると、ジャック・フェデー監督「雪崩」(1925年)、ヴェルナー・ホーホバウム監督「魂を失へる男」(1935年)、ダグラス・サーク監督「アコード・ファイナル」(1938年)、レオポルド・リンドベルク監督「最後のチャンス」(1945年)となります。

このなかでずば抜けてすばらしかったのは、やはり、と思わずつけてしまうのですが、ダグラス・サークの「アコード・ファイナル」ですね。これについては、後に詳細を書くとして、アメリカへと亡命する直前のサークがスイスで映画を撮っていた、ということもそうですし、フランスの映画監督として名高いジャック・フェデーがスイスで映画を撮っていたこと、「魂を失へる男」はドイツ語の映画ですし、「最後のチャンス」はイタリア語の映画で、つまり地理的にも政治的にも言語的にも、交錯点であるスイスのならではの特集上映だったといえそうです。見そびれたのですが「婦人の困苦と幸福」(1929年)ではエイゼンシュタインも参加していたそうです。

以下、4作品のネタばれです。

「雪崩」は、山村に住む放牧と林業を営む一家を描いた作品なのですが、死んだ母のことを忘れられない繊細な少年が、継母の連れ子の妹が大切にしている人形を奪って、やぎにくくりつけ、その山羊を山の上で、少女が追いかけ回すとか、そういう自然を背景にしたショット群が印象的でした。雪道を馬車で行くシーンなどもよいですね。義理の妹に、無くなった人形は橋のたもとにあると教えて、夜中に取りに行かせ、雪崩にも巻き込まれ少女は遭難、大人たちの必死の捜索の結果命は取り留めるが、少年は罪悪感で自己を罰するために家を出て、川に飛び込み死のうとする。このシーンも良くて、川の流れに突き出た枝にぶら下がった少年が、手を離すまでの緊迫感とかも記憶に残ります。

他方で、「魂を失へる男」は、どこか冷たい感触のする病院の風景と、狂気に陥った医師の心象風景の対比を重視した作品で、精神分析的なものをやや軽薄に取り扱っています*1。ある意味都市型の作品だと言えるでしょう。ドイツ表現主義との関係性ももちろん見いだせます。

「最後のチャンス」は第1回カンヌ映画祭グランプリ作品とのこと。イタリア北部で、ドイツ移送中に連合軍の空爆のおかげで脱走できた英国軍兵士と米国軍兵士の二人連れが、スイス国境を目指すが、途中でユダヤ人難民の一群と出会い、彼らとともに決死の雪山越えを果たそうとする、という話です。荷馬車に隠れて憲兵をやり過ごす演出の、どこか軽妙な感じがする前半が、重苦しい話へと転調するのは、潜り込んだ貨物車から、ユダヤ人たちが強制収容所に運ばれていくのを見たあたりからで、自己犠牲を厭わず少女を助けるために走って戻る兵士が、最後の最後、スイスへと渡ってもなお亡命が許されない可能性がある難民たちのために、自分を病院に運ぶ前に、亡命受け入れをしろと命を賭けて要求するシーンがありまして、ここは場内でもすすり泣きが聞こえてきたのでした。私的には、夜の湖をヨットでスイス国境へ目指そうとするちょっと幻想的なシーンや、雪山でドイツ軍の射撃の中をかけていくシーン、おとりになった少年が、ついに撃たれて転がり落ちるシーンとかが印象的ですね。あと、人道的な立場から自らの危険を顧みず、脱走捕虜やユダヤ難民を匿い、ドイツ軍に射殺される牧師と、牧師たちを密告するムッソリーニ政権下では羽振りよく暮らしていたものの形勢逆転で追いつめられた党員の対比ですね。ともに、いかにもなキャラクターなのですが、実際、そういう人はいたと思うのです。宗教だって、決して悪いばかりのものじゃないなぁと(笑)。惨殺死体とがれきの山になった山村の描写なども、戦後直後の映画らしい力を帯びています。特別な演出を施してあるわけではないのですが…なんというか、やはりそれは、先ほどの牧師と密告者とは別の意味で、実際にあったことだからではないかと想像しています。戦後直後の日本映画とかを見ていても、時折思うのですけれどね。

さてさて、そしてダグラス・サークがスイスで撮った「アコード・ファイナル」です。この作品は、これまでの文脈とは違って、スイス映画としてではなく、私は「ハリウッド映画」としてみました。そしてとても幸福な気分となったのでした。

天才的バイオリニストのアスターは、スイスに演奏に立ち寄り、そのままバカンスにはいるのだけれど、彼の持つ名器のバイオリンをほしがった男爵と賭をしてしまう。それは当地の音楽院に通学に来た10人目の女学生と二ヶ月以内に結婚する、というもので、それがかなえられなければバイオリンを手放すというものです。

…別にそれは新しい認識でも何でもないのだけれど、これは間違いなく「ハリウッド」の映画監督ダグラス・サークの作品の一つであり、つまり何が言いたいのかというと、「ハリウッド」と名付けられたものが、実は単線的な歴史を有するのではなくて、複数のルーツ、複数の系譜を持つ、ということなのでした*2。鮮やかなソフィスケイテッドされた演出。賭の対象の少女に手紙を書き、コートに入れたつもりが、そのコートが別の少女のもので、しかし、その少女とのデートで、本気の恋に落ちてしまうまでの、対象があっという間に入れ替わる鮮やかさとスピード感。笑いのシチュエーションを支えるすっとぼけたタクシー運転手が、車を(映画的な)必然においてエンストさせてしまうと、アスターと少女が車を押しながらエンジンが吹かせたところで、停滞を打ち破るように夜の岸辺を走り出す、そのスピードは、木の根に躓いて転がるところまで含めて、映画がスピードであることを示し、その鮮やかさにおいて、恋がスタートするのだと思うのでした。もちろん、夜の岸辺の鮮やかなきらめきもあります。夜、そして光。映画ですね。

ビザを無くして、マネキンの振りをして密入国する、偽学生になりすまして学院に入り込む…あらゆるところで、運動神経を発揮するアスターは、まあさすがに俳優本人のものではないのですが、その能力の延長線上に、卓越したバイオリン技術もあるかのようで、運指の素早さをアップで写したショットもまた印象的でした。ダグラス・サークは、必ずしも音楽を聴かせようとしてはいなかったようにさえ思うのです。映画ですから、むしろ指にこそ音楽が宿るのではないか。

権力志向の校長の弾圧(才能ある学生の指揮者を不合格にしたのを目の当たりにしたアスターが、校長の代わりに学生の指揮者を自分のコンサートの指揮者に指名、しかし校長ははずされたことをねたんで、アスターの演奏会をつぶそうと楽団に圧力を掛けたり、学生たちが演奏を買って出ると、今度はアスターが偽物だと警察に通告して、ビザのないアスターを窮地に追い込む)にもめげずに、学生たちが伸びやかな反抗心を発揮するシーンとかは、私の政治的な傾向と理想主義の青臭い気持ちも含めて(笑)、ほろりんとするシーンではありました。退学か、偽物に協力したと署名するか、二者択一を迫る校長を前にして、学生が皆、揃って出て行ってしまうのです。ほろりん。

演奏のシーンが、全般にすばらしいのですが、それは演奏のシーンが、ただ独立して存在するのではなく、この猛スピードで進むシチュエーションコメディにおいて、張り巡らされたすべての伏線が、見事にすべて解けて無くなったところで、その伏線の延長線上でもある演奏が、映画を祝福するように現れるからだと思います。エンディングのアスターとヒロインの結婚式で、学生たちが楽器を手に演奏を始めるシーンの、十分に予想可能なのに、しかし鮮やかさにおいて唐突な美しさなど、虚をつかれて思わず涙が出るわけです。

ああ、いい映画だったなぁ。

*1:あらすじは、こんな感じです。結末まで書くので要注意。若き医師が流行中の脳膜炎に効果のある血清を開発するのだけど、院長が臨床実験には早いと判断、制止するも、死んでいく患者を放ってはおけず、また血清に対する過度の自信もあって患者に投与するも、直後に死亡、未亡人に血清の実験で夫を殺したと責め立てられ、正気を失う。後に血清と死因は無縁だとわかり、病院は名誉を取り戻すためにも血清が必要となるが、院長の強圧的な精神治療では患者はいっこうに良くならない。若き友人の医師が、優しく導くことでやっと正気を取り戻す

*2:それは先日まで開催されていた「特集 ドイツ映画史縦断1919-1980」で、エルンスト・ルビッチのサイレント作品を見ても明らかなことだと思います