ブッシュよ好きなようにはさせない / マジシャンズ

11/28のブログで書いた大洋レコードシリーズ第4弾。今日は「A Bush No Le Va A Gustar」というアルバムです。ブッシュ・ジュニアの南米訪問にあわせてリリースされたコンピレーションで、タイトルは「ブッシュよ好きなようにはさせない」と邦訳できるそうです。大洋レコードの解説文から直接引用すると「ブッシュの思想に反対を唱えるアーティストたちが、ブエノス・アイレスのFM局ラ・トリプの呼びかけに賛同、アルゼンチン、ウルグアイキューバ、メキシコ、スペイン等から大挙参加した画期的な一枚」とのこと。歌詞がわからないのは、ちょっと残念なんですけれどね、アルバムを通してはずれのない、平均値の高さ。こういう言い方はずるいのだけど、怒りって、やっぱり原動力なのかなぁとか思います。

T3/DJ Panko/Ojos De Brujo「Piedras Remix」(バルセロナのバンドらしい。フラメンコ+ヒップホップーメスチーソ・バンド(?))、T5/Manu Chao「La Primavera」というスペイン語の曲(フランスのバンド?)、T7/Pablo Dacal「No Podrás Matarme」(アルゼンチンのジャグ・バンドのリーダーによるギターの弾き語り)、T9/Fermin Muguruza Kontrabanda「In Komunikazioa」(バスク。リベラルなメッセージを歌うミュージシャンらしい)などなど19トラック。全体に聴きどころ満載です。

FILMeXで見た映画について書いておかないと、どんどん忘れてしまうので、今日は「マジシャンズ」。ソン・イルゴン監督の作品です。4人の男女の恋愛を、部外者である僧侶一人も交えて5名のみの登場人物で、描く、しかも回想シーンまで含めて、デジタルカメラによる長回しの1カットで撮影しています。回想シーンに向かう際には、俳優たちが鏡を見ながら化粧を直し、そのときだけ光り輝く階段を移動しながら、時間のジャンプが起こったことを示す、といった演出が施されます。

と、こう書くと、すぐにソクーロフの「エルミタージュ幻想」を思い起こしてしまいそうになるのですが、作品の性格としてはだいぶ異なりますね。歴史の重層性のなかをカメラが亡霊のようにさまよう、エルミタージュという一箇所にロシアとヨーロッパのすべての歴史が積み重なっている(といった強迫観念)が故の連続性を、1つのカットの連続で表現することは、ソクーロフにとって必然であると同時に、暴力的な挑戦でもありました。対してソン・イルゴンの本作は、連続する時間の中で、俳優の演技の持続をもとめる、その俳優5名の演技のトライアル的な要素が全面に出ているように思います。もちろん、ソクーロフの映画も、1カットでミスの許されない俳優たちのトライアルではありましたが、多数の人間たちの一糸乱れぬ演技という意味であって、「マジシャンズ」の演劇的ともいえそうな俳優たちの演技の連続性へ集約される演出ではなかったと思うのです。「エルミタージュ幻想」は、台詞自体は少なめでしたしね(一人を除き)。

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自殺した少女が亡霊として冒頭から登場しながら、周囲には見えない、という演出がまずあって、過去の回想シーンになったとたん、実体となって、自殺に至る少女の精神の揺れを表現する、といった演技が、その代表といえそうです。4人の男女(一人は幽霊)が、最後にライブで演奏して、歌を歌い上げるまでの、ミスが許されない緊張感。それは、カメラワークにおいて、マイクばれしてはいけないとか、クレーンなども使いますから、そうした製作現場におけるトライアルでもありますね。実は、これ、物語的な構成力が、秀逸なのだと思うのです。ひとことでいて、上手い。ソクーロフでは、時間を巡る暴力的なイメージになるところを、きちんとストーリー的な起伏をもたせて、だれさせないように構築する。最初から亡霊がそこにいて、その死の謎を巡る、という意味では、むしろ、最初から死体がそこに隠されて存在し、その謎をめぐって推理が展開する、やはりカット割りなしで撮影されたアルフレッド・ヒッチコックの「ロープ」を、むしろ思い出すべきなのかもしれません(といっても、当時フィルムは10分で終わってしまうので、フィルムの変わり目で背中が大きくアップとなり、黒くなってから、再び同じ背中から続く、という形で、カット割りがないように「見せる」方法をヒッチコックはとっていますから、俳優のトライアル的な性格は薄いですが)。

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