構造計算偽装事件(2) / 中川信夫(1)

11/29の日記でも書いた構造計算偽装事件ですが、数日が過ぎ、建築・不動産業界に広がる闇の深さがいっそう明らかになってきました。この問題は、先日も書きましたけれど、官から民へ、民間にできることは民間に、という小泉与党のロジックがもつ危うさを端的に示しているとも思います。「小さい政府」を水戸黄門の印籠のように繰り返しうる背後には、市場原理へのナイーブな信奉が隠されています。しかし、市場原理とは、一企業が、それぞれ利益に向かって邁進することであり、今回の問題で言えば、(堀清孝氏のコラムからの受け売りですけれど)経済設計という名のコストダウンを極限まで行った結果、違法建築をしてまでコストダウンする、という流れがあり、一方検査機関も、より多く検査を発注してもらえるようにうるさい検査などしていなかった、ということが言えるでしょう(構造計算偽装は、性善説に則って起こりえない前提だから、チェック項目になかった、というのは、いくら何でも苦しいいいわけだと思うし。とはいえ国交省の問題と責任はイーホームズ以上に深く重いとも言えるでしょうが…本日放映の「サンデー・プロジェクト」より)。そうした業者が集って作り上げた建物が、いくつもいくつもあった、ということです。彼らが造った建物は、たとえ耐震基準をクリアしていても、ほかにも手抜き工事を施しているのではないか、と想像するのは私だけではないはずです。そして、こうした建築業界の実態は、「小さい政府」の下での市場原理主義がなされていく中で、様々な場所で、様々な形で、見いだされていくのかもしれません。

失言の多さで知られる自民党武部勤幹事長ですが、構造計算偽装事件についても、11/26の記者会見において、ひどい発言をしていました。「悪者捜しに終始するとマンション業界がつぶれる。不動産業界もまいってくる。景気がおかしくなるほどの大きな問題だ」(関連記事)というものです。国民の安全と生命こそが第一であるべきで、この発言は与党・自民党の幹事長としてとうてい許されるものではありません。11/29の記者会見では、「悪者捜しに終始してはいけないと言ったんです。徹底した原因究明をしなきゃいけないと言ったんです」と苦しいいいわけをしていますが、26日の会見は、誰がどう聞いても業界保護を前提とした、旧弊的自民党体質の発言にしか聞こえませんし、第一、この問題を明らかにしていく課程で、「悪者」を出さずに「原因究明」などできるものでしょうか。とはいえ、姉歯建築士だけをスケープゴートにすることを、許してはならないので、その意味では言葉の真の意味での「原因究明」は徹底的にして欲しいですね。建築業界が、本当の意味で生まれ変わるまで。実際は、26日の発言こそがおそらくは本気なのだろうなぁと思いつつ…そして、そんな発言が罷り通る世の中では、市民の生活と安全なんて、とうてい守られやしないのだろう、とも素朴に思うわけです。

実在の人物たちが地獄に堕ちるのを描いた石井輝男監督の「地獄」は見ていないのですけれど、石井輝男が助監督を務めていたこともある中川信夫監督の「地獄」は、大好きな映画です。と、強引な話の展開(笑)。でも、構造計算偽装事件の関係者たちは、中川信夫の地獄には堕ちられないのだろうなぁとも思うのでした。魅惑的な、死後の世界の鮮やかさに落ちるのには、彼らは悪人として、あまりに鮮やかではなさすぎる。

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中川信夫の作品を、FILMeXの特集でまとめて何作か見ることができました。「私刑(リンチ)」(1949)「人形佐七捕物帖 妖艶六死美人」(1956)「毒婦高橋お伝」(1958)「妖艶毒婦伝 人斬りお勝」(1969)の4作です。この映画監督の描く人物は、その欲望の黒さにおいて、とても魅惑的です。それぞれ作家としての資質が違うので、どちらが良い、悪いではないのですが、石井輝男の作品を見ると、どれほどの悪人が出てきたとしても、それは映画の欲望に則って、美しい女性の肌をキャンバスとして血や刺青で彩るための存在であって、どこかその人間的な欲望は曖昧になっている(根拠無く、それ故に軽やかでもある)と思うのです。対して中川信夫の場合、その登場人物こそが、欲望を発揮する、しかも黒い、ところが、その欲望の黒さが、重い物語性を帯びそうなところで、どこまでも映画的な軽やかさを失わない、不可思議なことが起こるのです。

以下、ネタばれです。

石井輝男を比較に出してしまいましたから、まずは「人形佐七捕物帖 妖艶六死美人」から話したいと思うのですが、この作品は、題名通り十手持ちの佐七親分(若山富三郎)が背中に入れ墨を彫った美しい六人の美女を狙う連続殺人鬼を追うという話です。ところが、この映画の若山富三郎は、それほどは光らない。単にいい人間にすぎないからかもしれません。謎解きのストーリーパート担当だから、とも思われます。むしろ、この映画では茨木屋(市川小太夫)と呼ばれる、実は大海賊だった悪党の方が、ずっと魅惑的です。どれくらい魅惑的かというと、江戸で一大資産を築き、息子と勘定奉行の結婚が間近に迫っていたのに、自分の過去を隠すために美女を次々に殺したにもかかわらず、佐七に見破られると、すべてをかなぐり捨てて、海賊に舞い戻る軽やかな運動神経においてです。唐突に場面が海賊船の上に移り、海洋アクションとなる楽しさ。いかにもなお大尽から、唐突にべらんめえな大海賊に変貌する豹変ぶり。人を人とも思わない大悪党で、金儲けのためなら何でもする人間でありながら、恨みつらみを受ける前に、敗北と見るや碇を体に巻き付けて鮮やかに海中に沈んでいく運動神経。無様な命乞いなど、しないのでした。それらは、すべて佐七の運動神経とは無縁です。佐七は、所詮、茨木屋の仕掛けた落とし穴に落ちて、座敷牢に落ちるくらいしか能がないのです。

茨木屋は6人の美女の内5人までを殺すのですが、それらも、はだけた着物から、どうちらりと刺青がのぞく、というよりも、実は微妙になぜ殺されなければいけないのか、物語的には腑に落ちない連続殺人を引き起こすのが、そのちらりちらりとのぞく妖艶な肌の要請であったともいえます。そこは、石井輝男と接しあう部分ですが、それ自体が完全に目的化されるのではなく、その美しさに拘泥せず、連続性を帯びた次の鮮やかさへと軽やかに飛び移ってしまう運動神経が、中川信夫の軽やかさであるように思います。

美女の一人の用心棒役を務める天知茂とかも良いですね。襲い来る賊と戦いながら、深追いするなと制止する佐七の声を背に、暗い路地の曲がり角の向こうへと、剣を切り結びながら折れていってしまい、その遠景のショットのあと、座敷牢のシーンで刺し地と再会するまで再登場しない、これまたざっくりしたジャンプの仕方。実にひょうひょうとした再登場も、中川信夫らしいといえます。一定の連続性はあるのです。ただ、運動神経故に、いったん流れからはずれると、唐突な再登場以外はできなくなるのです。

続きは明日!