スネオヘアー / Mr.&Mrs.スミス
BGM : スネオヘアー「カナシミ」
- アーティスト: スネオヘアー,azumi,渡辺健二,箭内道彦,根岸孝旨,池田貴史,會田茂一
- 出版社/メーカー: エピックレコードジャパン
- 発売日: 2005/12/07
- メディア: CD
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「ハチミツとクローバー」の主題歌だった「ワルツ」とか収録されてます。良質なポップアルバムだと思う。心地よいメロディはこういうもの、というのがまずあって、しかし、それに対して、音を用意する、あるいは「どう歌う」と言うときに、かなり冷静な距離感を自身でもてているが故のポップ性。媚びもないし、良い意味で、勢いで作られてもいない。「だから」心地よいのです。
ダグ・リーマン監督の「Mr.&Mrs.スミス」を見ました。「ボーン・アイデンティティ」と「スウィンガーズ」しか見ていないので、あまり偉そうにいってはいけないのかもしれないのですけれど、やっぱり、この人は買いだと思います。面白い。評判のいい「GO!」と「キル・ミー・テンダー」も見ないと!
ボーン・アイデンティティー スペシャル・エディション [DVD]
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もちろん「Mr.&Mrs.スミス」を、たとえばトニー・スコットの「ドミノ」などと並べてみると、個人主義とアメリカの内部における(映画としての)安住が、矛盾無く成立するという意味では、ある種の閉鎖性を指摘することは出来ると思います。何かが、安穏とサバイブしてはいないか、という批判もあり得るのかもしれない。たとえば、夫婦の殺し屋が殺し合う、という設定は、ジョン・ヒューストンの「女と男の名誉」も、当然想起されますが、引き比べて、ジョン・ヒューストンがアメリカ映画のある種の終わりに向かい映画を開いていったのに対して、それを反転させ、安易に映画の延命としている、という言い方ですね。
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ただ、ダグ・リーマンにおいて、それは徹底した自覚において、そうなのですね。とはいえ、自覚があるからいいじゃないか、という幼稚な擁護をしたいのではありません。
以下、ネタばれです。
ダグ・リーマンは、互いに殺し屋だと知らずに結婚してしまった夫婦が殺し合うことと、夫婦間の結婚5ー6年目を迎えた夫婦の(犬も食わない?でもセラピストは美味しく食う)喧嘩と、(喧嘩を刺激として、相互理解を深めた上での、反転としての)セックスとを、まったく等価なものとして結びつけ、結果的に夫婦の周りに死体が積み重なっていく過程を、夫婦の危機とその乗り越えの過程として、しまいには理想的なセックスの隠喩として、示しているのです。夫婦で殺し合うといっても、相互の卓越した技術によって、おたがい見事に生き延びていく、一方で、殺し合いの中で、殺し屋であることを互いに隠していた心の重荷から解放されて、愛する相手を再発見していくことも出来る、そして最後は二人の共同作業で死体の山…まあ、つまり、「とても上手く事が運ぶ」のです。その開き直り的な徹底。一糸乱れなく、銃弾と夫婦げんかの言葉の応酬が、銃弾と愛を交わす視線が、あるいは共同作業としての殺戮行為が、破綻を帯びずに、きれいな相似形を形作って、最後にきれいに夫婦間の物語として終わっていく鮮やかさ。その「自覚」は、それを自覚できるという意味において、やはり映画の終わりと向き合っていると言うことなのかもしれません。
セックスと夫婦げんかと殺し合いが、なだらかに結びつく等価なものであるという徹底。そこにおける他者の、やはり徹底した欠落(夫婦の愛とサバイブのためには、周囲のすべては犠牲になっても仕方がない)。結局、この映画は、ドメスティックな夫婦の物語に「過ぎない」とはいえるでしょう。ただ、それをここまで華美に、壮大に、徹底的に、飾り立てることができる(しかも成金趣味的にではなく、さりげなくスマートに!)。力を抜いたように見せながら過剰な徹底を可能にする技術/センスにおいて、ダグ・リーマンは買いなのです。また、それが良い意味でハリウッド映画である、とも言ってみます。ブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリーのロマンスという、映画の外部の状況すら含めて、「今日のハリウッド映画」として「Mr.&Mrs.スミス」はあるのでした。