構造計算偽装事件(3)/ ジェフ・ミルズ

BGM : Jeff Mills「Contact Special」

コンタクト・スペシャル

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今日は、実は12/15なので、昨日(14日)の話なのですが、国会の証人喚問において、姉歯氏が証言をしました(関連記事)。

この人物は、許されない罪を背負い、テレビカメラの前に立ちます。罪をあがなう手段を彼はおそらくもっていません。ただただ謝罪するしか手だてはないでしょう。多くの人間の財産を奪い、人生設計を変えさせたことになります。しかし、犯罪者ではあっても、受け入れがたい狂気などにはほど遠く、むしろ(私たちが良く見知った)小心な怯えや弱さ、平凡さを感じさせます。そして平凡な存在が、完全に破滅して、テレビに映っている。

誰もがやっていることだから、これくらいは…という考えが、エスカレートし、暴走する。事件の本質は、姉歯氏=建築士にあるのではなく、建築業界全般(検査機関・国交省含む)の構造的な問題である、これはほぼ間違いないわけです。そこでは、馴れ合いの泥沼にぼーっと首まで沈んでしまった平凡な人々(周りも沈んでいるから、まあ、大丈夫だろう的な考えの穴に気づかない人々)が無数にいると言えるでしょう。

ここで気をつけないといけないのは、簡単な物語に還元されてしまう危険性です。さすがに姉歯氏だけに還元できないのはわかっている、といって、あの怪しげな総研なるコンサルタント会社に還元できるのかどうか。あいつが親玉だ、といってしまう危険性は、親玉を見つけたとたん、泥沼の構造的な問題を批判し、改良していく力が弱まるところにあります。

姉歯氏は、どこか不気味な存在です。それは平凡で、弱い存在にしか見えないからでしょう。それが悪をなした。しかし物語的にはもっと明確な悪がいないと、まとまらない。ヒューザーの小嶋氏はちょうど良さそうだ。総研の内村氏もちょうどよいだろう。イーホームズの藤田氏は、そうした物語の隙間を縫って生き抜こうという戦略のようです。マスメディアは、毎日のようにこの問題を報道しながら、面白い物語を、事件の周辺に作りつつあります。それは、マスメディアが、状況を隠蔽するのと近しい行為であると考えます。

姉歯氏の不気味さは、マスメディアの中で納まりが悪いと感じます。映像として、その納まりの悪さを、見つめることが大事だと思います。納まりがいいものなんて、たいていが嘘だとも思いますしね。

ジェフ・ミルズも、納まりの悪さをちゃんと感じさせてくれるミュージシャンです。しかし、その納まりの悪さの連鎖が、調和にも通じるというのは、私たちが、納まりの悪さすら回路に組み込みうる音へのセンスをもっているからです。それは、油断すればすぐに保守性への安易な回帰になるはずです。だから新しい、納まりの悪さが、いつでも必要になります。その期待に、ジェフ・ミルズのアルバムは、見事に応えていると思います。