ALWAYS 三丁目の夕日(2)

昨日の続きです。

ALWAYS 三丁目の夕日」では、映画の冒頭に、長回しのシーンがあります。CGを駆使して昭和33年、1958年当時の町並みを再現し、その中を子供たちが模型飛行機を追いかけて走り続け、細い下町の路地裏を抜けて、建造中の東京タワーの見える大通りまで駆け出てくるのです。見ながら、左幸子が「飢餓海峡」で駆け抜けた戦後直後の東京の風景を思い出し、もちろん時代は異なるわけですから、その性質が異なるのは仕方がないにしても「路地」というものへのイメージのずれを、違和感として感じ取るのでした。私は、思い返す限り模型飛行機で遊んだことはないので、それがどれだけ見事に空を飛ぶのかは知りません。ただ、凧で遊んだことは何回かあります。そして、凧をめぐる記憶とは、最後は飛んでいってしまうか、電線や木に絡まるか、ともかく、そう鮮やかな記憶ではない。それは貧しい子供時代の記憶しかないということかもしれません。とはいえ、あの狭い路地を、模型飛行機が何一つの障害物もなく、飛び越えていくことへの違和感、いや、正しくは、そんなところで飛ばしたら、一発でどこかのお宅の屋根の上に乗ってしまうだろう模型飛行機を、平気で路地の只中で飛ばし始める子供たちへの違和感が、あったのでした。

それは、やはり、一つの方向性をあらかじめ与えられた美意識の世界です。とはいえ、だから問題がある、というのではありません。そうした違和感も、また映画にアクセスする上で、機能する要素だからです。たとえば、小津安二郎の、演出のシュールさを思い返してもいいでしょう。ただ小津の美しさは、「ALWAYS 三丁目の夕日」など歯が立たない美しさですが、これは比べるほうが酷というものです。

しかし、実はシュールさの塊である小津に対して、「ALWAYS…」は、むしろ違和感を、現代において失われた時代の何かが再現されている(ノスタルジーを刺激す)部分にだけ絞っており、その世界をどれだけ違和感を感じさせず滑らかにすり抜けていくかに意識が向けられている(模型飛行機は、それ自体は違和感を発揮しますが、その姿勢において、この映画全般の意志をあらわしている)という指摘は、有効かもしれません。それは小津という固有名詞の問題ではなく、映画の作られた時代の問題であるといえそうです。現在から、振り返って昭和33年代を描くことそれ自体が、何か冒険的であり、挑戦的なことなのだ、それを見事に再現できることそれ自体がすごいのだ、という自負なのだと思うのです。

正直、そうした自負も、映画史を踏まえたうえでそれを攪拌し、ありえなかった歴史を過去に植え込みながら、ハリウッド映画史すべてをその内部にはらんでしまおうとするかのような、凶暴な映画、ピーター・ジャクソンの「キング・コング」などとくらべると、やや、おとなしい印象はぬぐえないのですが、それでも、昭和33年を再現する、という意味では、「ALWAYS…」は一定の成功を収めていると感じます。

とはいえ、完成しつつある東京タワーを映し出していく映画が、最後に完成した東京タワーを見上げるところで終わる、というのは、やはり収まりが良すぎる気がするのですけれどね。何かを一致して見上げる、という行為を、無数のずれの連鎖の後におくか、それとも可能な限り取り結ばれた調和の後におくか。たとえば、小津の「小早川家の秋」とこの映画を並べて見て、そこで一つのものを見上げるという行為がどのように映画になっているかを比べてみると、面白いかもしれません。

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