秘密のかけら

アトム・エゴヤンの「秘密のかけら」を見ました。あまり得意な作家ではないのですが、面白く見られたのは、この映画のある種のいかがわしさが好きだからです。つまり、観客にどこかほんとうの姿を明かそうとしないところですね。

ラリー(ケヴィン・ベーコン)とヴィンス(コリン・ファリル)の人気コメディアン2人組は、何故人気絶頂のなかで解散したのか?彼らの宿は后のホテルで死んでいた、ジャーナリスト希望の金髪美女モーリーン(レイチェル・ブランチャード)を殺したのは誰か?1972年、ロサンゼルスで、自伝のインタビュー取材を許諾したヴィンスに、野心的な女性ジャーナリスト(やはり金髪の美女)であるカレン(アリソン・ローマン)は、15年前の殺人事件の謎をぶつけようとする。そんななか、ポリオウィルスのワクチンキャンペーンの番組に出演してから、ラリーをずっと憧れの人としてきたカレンは、偶然ラリーと出会い、男女の関係になってしまう。彼女は、次第に事件の核心へと近づいていくが…という話です。

以下、致命的なネタばれです。

この映画では、1957年と1972年の2つの時空間だけではなく、実は、その2つの時空間を回想している現在、という時間があることを、見落とすことが出来ません。そしてその時点では、カレン自身の言葉が正しければ、この事件が明るみになって傷つく人は一人もいない、ということになっています。つまり、ラリーも、死んだモーリーンの母親も、死んでいる。そこでの謎解きである、ということです。

すると、この映画の謎解きが、決定的に物証を欠いていると気づきます。それは、劇中で「ある」とされながら、一度も登場しない、殺されたモーリーンが記録したという録音テープです。その録音テープが「ある」からこそ、ラリーの告白の文章は真実になりうる、しかし、それがなければ、「誰でもでっち上げられる」というのはカレン自身の台詞です。

他方で、劇中で古びたオープンリールデッキを、父の形見だと言ってカレンが使うシーンがあります。金髪で、ジャーナリストを目指す、若くセクシーな女性。彼女は、ある意味モーリーンと、相似形を結びます。それは偶然の符合なのか?モーリーンは、ラリーとヴィンスに愛され、そして、カレンの推理では、ラリーのマネージャーに殺された。しかし、果たしてほんとうにそうなのでしょうか?

カレンは、ラリーが、モーリーン殺害の翌朝に番組のなかで、こっそりと語った台詞を覚えています。彼は彼女に「すまなかった」と謝った。カレンは、当時はそれが何を意味するかはわからなかったでしょう。しかし、調査を始めて、モーリーン殺しの犯人の疑いをかけたとき、何故、その台詞を、すぐに思い出さず、彼女は「彼が殺したとは思いたくなかった」と繰り返しながら調査を続けるのか。そこには、調査ではなく、物語がどこかになかったか、と思うのです。

つまり、すべてはカレンの野心的な嘘であったなら?ということですね。実際には、その検証にはあまり意味はありません。ただ、疑うだけでいいのです。すると、映画が、答えへとたどり着く物語としてではなく、答えなどもたない、ただ何も明かさない、映画の中で出てくるオレンジの木のように、深く記憶に関わりながら、同時にその記憶をまったく語り出そうとしないものとして、そこにあることに気づくのです。