女系家族

三隅研次監督の「女系家族」を、テレビで見ました。久しぶりに見直したのですが、やっぱりこれは傑作ですね。DVDも出ています。

女系家族 [DVD]

女系家族 [DVD]

山崎豊子の原作を、依田義賢が脚本化、端正な構成の作品です。3代続いた女系家族、婿養子の父親の死に際し、京マチ子の長女ら三姉妹が激しい相続争いをする、腹黒い番頭役の中村雁治朗はこの機に私腹を肥やそうと狙っている、そこに亡き主人に愛人の若尾文子がいたことがわかり、彼女の妊娠が判明する…という話です。財産争いの決着へと向かう過程は、省略も鮮やか、複雑な人間関係も簡潔に演出しているのですけれど、そうした台本・構成の妙ではなく、三隅の映画の恐ろしさは、時折その画面の中に現れる、恐ろしい風景なのだ、と、いつも思います。どこか荒れ果てた、恐ろしい風景が、時折現れる。それは、妊娠中、体を悪くした若尾文子を、無理やり診察しようとした長女と次女、それから欲深い三女の代理人のおばが、嫌がる若尾に無理やり診察させるだけではなく、診察中に無表情で部屋へと乗り込んでくる一瞬のショットの殺伐(若尾の開いた膝の間がさっと閉じる、ひどく生々しいショットへとつながる)、その、女性でありながら芸者上がりの愛人など人とも思わない身振りの恐ろしさです。そのシーンは、小さい若尾の家に出入りする前後の、青い大きな外車が路地を出入りするショットの、奇妙な違和感とつながりながら、この映画の風景としての残酷をよく表しています。

以下、致命的なネタばれです。

クライマックス、若尾文子は一族の集まった席で、子供を生むまで隠し続けた認知を明かす書類や、父親の本当の遺書(若尾の子供兄さんを相続させると明記された、大番頭があずかっていた遺書よりも後の日付の遺書)、大番頭のさまざまな不正を記録した書類をすべて明らかにするのですが、その結果すべての人間の欲が醜く露呈され、席を立った若尾、そしてやはり席を立った親族に残された三姉妹が、乱雑に散らばったや、乱れた座布団や膳などを前に、座るシーンは印象的です。その荒れ果てた風景、端正さが崩れ去った後の風景こそが、三隅の風景であると思います。そこに、ただ一人最初からいた若尾こそが、取り繕い生きている誰よりも美しく、恐ろしく、強かった。三姉妹は、権勢を握ってはいたが決して幸福ではなかった母親の遺影を見つめ、壁に目をやります。無表情の夫婦の遺影が映し出される。それは、三姉妹が競ったものの遺影でもあるのでしょう。

若尾文子が席を立つ、瞬間の空白に、私は一番の恐ろしさを感じるのでした。それは、端正なものが崩壊する、ほつれ目の最初の場所にあるからです。美しく、恐ろしく、その風景は始まる、あるいは、存在していた、のです。