静かなる男 / 新年につき帰省中

新年につき、帰省中です。黙っていても、ご飯が出てくる状況はなかなかに危険です。胃が重くて仕方がありません。

DVDでジョン・フォードの「静かなる男」を。今年の映画初めです。

静かなる男 [DVD]

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青い大きなエプロン押したにのぞく赤いスカートが、アイルランドの緑にたなびき、モーリン・オハラが羊たちを連れて岩だらけの丘を行くと、幼いころを過ごした故郷の村に戻ってきたジョン・ウェインは、この世のものならぬものを見た、と強く感銘を受けるのでした。真っ赤な髪がたなびいてもいます。

光があり、風が吹き、豊かな運動に満ちている。女性たちが食いに引っ掛けた帽子を競い、競馬のクロスカントリーともいうべき競争に挑む村の男たちが、風雨に削れた丘を駆け抜けていくシーンの美しさ。ジョン・フォードの映画なのですよ。馬の運動もすばらしいのですけれど、風の中で揺れる帽子もまたすばらしい。つばの広い、黄色い、オハラのかぶる帽子は、むしろ、デートを許されたジョン・ウェインとオハラが、二人乗りの自転車で道を行く、そのシーンで巻き上がった風に帽子が揺れるシーンのほうが印象的です。

以下、ネタばれです。

アイルランドの僻村に住むオハラと、アメリカ育ちのウェインの結婚観の差が、物語の展開を決定するこの映画は、いわば文化間ギャップの話なのですけれど*1、しかしそれも、結婚までは賛同したものの持参金の支払いは拒絶したオハラの兄ヴィクター・マクラグレンと殴りあう、美しいシーンで、美しく解消されていきます。ウェインの元を去ろうとしたオハラを、街の機関車から無理やりおろしたウェインが、徐々に増えていく野次馬を連れて、8キロの距離をオハラを引きずるようにしながらマクラグレンの元へと向かっていく、そこで始まる殴りあい、本来ならば殴り合いを止めなければいけない神父たちまで、二人のファイトに興じ、村人とまじって賭けに参加する、つまり、殴り合いといっても、それは小さな村の全体を緩やかにはらんだ運動の核であり、一対一のことではないのです。豊かな、全体的な運動、そして、その全体的な運動の中核で、舞踏のようでもある殴り合いが続く。大げさじゃなく、胸が熱くなって、涙が出てきます。映画が、豊かな、調和の取れた、しかも堅苦しいモラルとかではなくどこまでも人間的な運動として、あること。

IRAも、プロテスタントの神父も、カトリックの神父も、アメリカ帰りの元ボクサーも、隔たりなくみな村の生の運動に参加する、と、こう書くと、やや不適格な気はしますけれど。村に住むプロテスタントの神父夫妻が、村を去らなくていいように、村の信徒の状況を巡視に来たプロテスタント神父の前でだけ、カトリックの神父まで混じって村人全員がプロテスタントの振りをするシーンは、結構好きですが、しかしそのシーンだけ抜き出してなにかの可能性だというのは、やはり間違っているのでしょう。それは、ただジョン・フォードの映画であるということなのだと思うのです。

*1:持参金なしの結婚など結婚じゃないと地元の伝統にこだわるオハラは、自分の兄から力づくで持参金を奪ってきてほしいとウェインに期待しているが、元ボクサーで、試合で相手選手を殺してしまった経験のあるウェインは、持参金も必要としてはおらず、オハラの気持ちをいまひとつ理解できない